2010年1月   第25回党大会

1日目 1月13日

 4年ぶりになる歴史的な第25回党大会がきょうから始まりました。6時半に自宅出発、熱海へ。最寄りの伊豆多賀は小さな駅、数年に1度の党大会のあるときだけは大混雑、だから、熱海から伊豆多賀までのキップの回数券は、4日分、前もって渡されました。

 さて、たわわに実っている夏みかんを見ながら「心臓破り」の坂道を登こと30分、党の学習会館にたどり着く。
 汗ぐっしょり、しまった! 暑くなったら直りかけたジンマシンがうずき出して、むずむずしてきた。発疹がまた出始めた。薬を塗り、落ち着くまで1時間かかった。明日は、無理せずに車で運んでもらうことにしよう。やれやれ。

 会場では全国の仲間との再会です。石川の近松さん、新潟の武藤さん、宮城の遠藤さん、小野寺さん・・・吉川春子さんや井上議員などたくさんの仲間と「おはよう!」「お久しぶりです!」「元気ですか!」。どこもかしこも、笑顔で一杯です。
約1千人の代議員があつまりました。会場は文字通り、熱気にあふれていました。

 この大会は、自民党政府が国民の手によって倒され、新しい政権になって初めての大会です。しかもすでに民主党政権は、沖縄基地問題や10年度予算計画で、従来の政治枠を出ない政治の限界をあらわにしてきた段階で開かれます。
 国民と共に、新しい政治を切り開くための方針を決める、歴史的な大会です。

 大会1日目は、志位委員長の報告。委員長の、参議院選挙にどうしても勝ちたいとの気持があふれており、迫力でした。

 まずはこの大会の任務が確認されました。

➀ 大会決議を練り上げ、決定すること。決定は2010年代の行く手を照らすものである。その根本には生命力豊かな綱領が息づいている。
➁ 参議院選挙勝利、全党決起の跳躍台になる大会に
➂ 綱領実現に向かう新しい中央委員会の選出

 驚いたことに報告は、沖縄普天間基地移設問題と日米軍事同盟と日米関係、そしてオバマ大統領をどう見るか、に多くの時間が注がれたことでした。

 日米関係では「安保条約」がいよいよ国民的論議される時代に入ったのだ!と受け止めました。沖縄中心の基地闘争は、安保条約の是非は置いておき「基地はいらない」で一致してたたかっています。しかし必然的に「安保」にふれざるを得ない状況に急速に変化してきているのではないか。国民の新しい政治を求めるエネルギーを感じたことです。
 参議院選挙はこれが大きな争点になる、そう実感しましたから、北沢防衛大臣を出している長野のたたかいは重要な意味を持ってくると、身が引き締まりました。

 アメリカが関係する軍事同盟4つの中でもっとも異常な日米軍事同盟の異常を正すたたかいが7点にわたって示されました。
 秋にオバマ大統領が来日して語った「対等平等な日米関係」には、日米軍事同盟の不平等を3点に整理して解明が行なわれました。

●クリアゾーンの問題
 ●NLP夜間訓練の問題
 ●低空飛行訓練問題

 いずれもアメリカの法律では違反とされていることを、日本では平気の平左で自由勝手に行なっていることが明らかにされて、「こんなことが許されていいのか」との怒りは会場いっぱいに吹きだしました。

 報告は1時半に始まって2時間半走り続け、やっと休息。最後に終わったのは5時。たっぷり3時間以上あったかな。ご招待した在日外交官の皆さんの予定に合わせて、前半2時間半、走ったらしい。

 それから討論。今日は5人、最初の執行議長は市田さんと我が今井県委員長でした。6時半終了、宿について7時半。

 さて、今日は浅川ダム意見陳述の日、代議員である石坂県議と高村県議も出席のため、大会には「公務」と言うことで遅刻してきました。
 夜9時からの長野県のミーティングのとき、石坂議員から感動的な陳述会であったことが報告されました。
傍聴人が130人も! 10人だけとの当局の制限を広げさせたのです。また、監査人がまじめに監査してくれる誠実な態度であったことなど、住民運動が大きく発展していることに確信の持てる報告でした。浅川ダムも、正念場です。

 宿は熱海の海辺のホテル。夫からジンマシンの薬の指示が来る。ステロイドの量の調節です。長引いていて不安だな。