中国へ―平和と友好の旅
アジア政党国際会議の開かれた街で
北京の宿
十六日、瀋陽発一九時三〇分の飛行機で、北京に向かう。北京着は二〇時四〇分。北京では、「北京凱莱大酒店」という大きなホテルで二泊した。このホテルは、通路の両脇に部屋が並んでいるつくりではなく、通路から部屋までまた通路があるという複雑なつくりだったため、「夜の交流会」の会場となった部屋への移動が迷路みたいだった。通路からの音に、ワンクッションおくためだろうか。
「酒店」「賓館」「飯店」と、この呼び名がホテルを表している。「賓館」はなるほどと思ったが、「酒店」「飯店」はもともとお酒を飲んだり食事をしたりする店だったところに由来しているのだろうか?北京飯店は天安門広場のそばにあった。不破さんの「北京の五日間」によると、不破さんは北京飯店の十二階、天安門広場を右手に見る部屋に泊まったと記されている。
「どのへんかな」などと思いながら、バスの窓から眺めて通過した。
北京は別世界
夕べ北京に入ったとたんの驚きは、景色が一変したことだ。長春や瀋陽と同じ中国かと思うほど、ライトで明るい高層ビルの立ち並ぶ超近代都市の顔が現れた。
最近は急速に車が増え、十車線ある環状道路は六本、それでも不足で北京オリンピックの時はおそらく規制しなければだめだろうと、湯さんが言っていた。北京は人口一千二百万、面積は日本の四国に匹敵する広大な街だ。
大体、ハルピンから長春、長春から瀋陽、そして北京へとの移動は、日本列島を縦断するほどの距離に匹敵する。しかも、それも中国のごく一部の東北地方に限ってのことである。それなのに四〇〇`ほどの移動でも、私は長野市からとなりの上田市へ行くような感覚になっていた。こんな広い国をまとめていくのは、容易ならざる大事業だと実感してしまった。この偉大な大地の政治の中心地、北京へやってきた。
先月、アジア政党国際会議がここで
先にも少し触れたが、この北京で、二〇〇四年九月にアジア政党国際会議が開かれたばかり、その舞台となった街に居るということだけで、私の気持ちは浮き立った。
会議には、アジア三十五カ国から八十三の政党、約三百五十人が参加したと報道された。地球の陸地の三分の一、世界人口の六割をしめるアジアの国々の、政権与党も野党も揃って参加したのだから、これは大変なエネルギーが湧き出している証拠だ。政権与党で欠席したのは日本の自民党だけ、そのことについて誰も問題にしなかったと聞いて、さもありなんと思ったことだ。
さらにこの会議の内容が、二十一世紀のアジアと世界の平和にとって、非常に重要な意味を持つものだった。「戦争のないアジア、戦争のない世界を目指して、国連憲章を中心に、平和の国際秩序を作り上げていこう」、このテーマが真剣に話し合われ、「北京宣言」として実ったことだ。アジアほどさまざまな違いのある国が集まっている大陸もない。
資本主義の国、社会主義を目指している国、第二次大戦後独立した国、また体制崩壊を経験した国と、歴史も社会体制も、宗教も文化も違い、そしてまた、イラク戦争への態度もさまざまである国々が集まる巨大なアジアが、世界の平和の秩序の確立を目指すことで一致できたとのニュースを、新聞「赤旗」は生き生きと伝えてくれた。二十一世紀に明るい展望が見出せる、ビッグニュースだ。
アジアや、左翼政権が次々生まれているラテンアメリカの変化は、私たちに大いに勇気を与えてくれる。私たちが歴史を動かしていくのだという確信がわいてくる。日本の役目は大きい、負けないでがんばろうと元気が出てくる。
日本共産党が評価される
長春から瀋陽までの列車の中で、乗り合わせた中国人に質問攻めにあい、「日本共産党の不破さんはすごい。政党会議での発言は優れていた。」とのほめ言葉もいただいて、私たちはすっかり気をよくしたことは紹介した。
不破さんの発言が、日刊赤旗でもつかめなかった、大変な注目を浴びたということを、私は「前衛」で知った。前衛十二月号の、不破さんの書いた「アジア政党国際会議に参加して」を読んだら、報道の内容も詳しく書いてあったので、その評価の高さも、彼の「ほめ言葉」も一層うなずけた。
その日のうちに報道された記事の見出しは、新華社通信は「日本共産党「戦争のない世界」を築くことをよびかける」、中国通信社は「日本共産党議長、「バンドン精神」は重要な国際的地位を有している」。
また、「環球時報」(中国共産党の機関紙「人民日報」の国際版)でも、会議全体の骨子とともに、不破議長の発言が紹介され、しかも、まとめの部分で再度中身に立ち入って取り上げたとのこと。
偶然あった列車の彼が、不破さんの発言を通して日本共産党の考えと、果たしている役割に興味と共感を持ってくれたことは、大変嬉しい。国民同士はこのようにみんな平和を望み、仲良くしたいと思っているのだ。こうして友好を深めることができたのだから、今回の旅の目的にかなったこころに残る出会いであった。