中国へ―平和と友好の旅

期待の懇談

小寺さんとSさんを囲んで

 北京での二日目、N企業の中国会社に勤めているSさんと、新聞「赤旗」北京文局長の小寺松雄さんとは半日ご一緒に行動した後、夜は懇談会の計画だった。短時間ではあったが、このお二人との懇談は私にとって今回の旅の「目玉」であって、期待し楽しみにしていた。不破議長の「北京の五日間」にも登場する小寺記者にお会いできるなんて、ちょっと緊張していた。

 でも、「妻の実家が平林(長野市)なんです。」の一言で、とたんに身近感を覚えて打ち解けてしまった。その上「中野さんですね。藤原君から良く聞いていますよ。よろしくと言っていましたよ。」の言葉にまたびっくり。藤原さんとは四年前の衆議院選挙の時、彼が北陸信越ブロックの担当の赤旗記者だったので知り合いになった。

赤旗北京分局長 小寺さんと

 その後転勤されたが「詩人」の彼は、自費出版した詩集を何度か私にも送ってくださった。彼が小寺さんと私をつないでくれるとは、考えてもみなかった。北京ダッグでの夕食を共にしながら、お二人に最近の中国の様子をお聞きした。有意義なひと時だった。

腐敗との戦い

 日本共産党と中国共産党は、三十二年間という長い断絶の期間があった。「文化大革命」中の毛沢東派の干渉攻撃が原因である。日本共産党はこの不当な干渉と、断固としてたたかった。

 「文革」の嵐が去り中国共産党が過ちを認めて謝罪し、一九九八年、双方の関係を正常化してから赤旗支局も再開され、小寺さんは二〇〇一年から北京に赴任しているとのこと。二〇〇二年の十一月に中国共産党第十六回大会が開かれ、中国の国づくりにとって非常に重要な方針が出された。

 新しい胡錦濤総書記のもとで「学ぶ党風」が打ち出され、「公のための政治」「民のための政治」をより鮮明に掲げ、「政権担当能力強化」のため、汚職、腐敗の一掃を重視した。それを現場にいる小寺さんから直接聞くことが出来たのだから、非常に新鮮であったし、中国の国づくりの基本姿勢に感銘も受けた。

 日本では、共産党とはまるで無縁のことであるが、政権与党をはじめとする各政党の金権腐敗の事件がオン・パレードだ。自浄能力はまるでない。「ムネオハウス」や「一億円を忘れた橋本」は、国民誰もが氷山の一角と思っているほど、腐敗は救いがたいほど根が深い。

 どんな体制でも油断をすれば、官僚集団の汚職腐敗も起こりうることだと思う。中国もまたしかり。しかし中国と日本との違いは、政権党が浄化の政策を打ち出していることだ。ここにも私は「百年」のスタンスで国の建設にいどむ中国の意気込みを感じた。

選挙はいかに

 小寺さんの話では、中国の国民が直接選挙できるのは、「区」の代表を選ぶだけとのことだった。他には権利がないという。つまり、ハルピンで言えば、ハルピンの八つの区の選挙の権利である。区の選挙は、四人のうち三人を選ぶという中選挙区制度を採っているという。

 それ以上の議員は共産党大会で決まり、首長は議会で選んでいるとのこと。同じ社会主義を目指しているベトナムでは五種類の選挙の権利があるそうだ。日本語ガイドの湯さんも「せめて、首長は自分たちで選びたいです。」と要求していたが、民意が反映される選挙制度についても、きっと模索されているのではないだろうか。

 七月五日付の日中友好新聞には、農民の代表が選挙で選出されにくいため、北京への直訴が相次いでいるという記事が載っていたが、こうした事態を打開しようとしているのではないか。我々日本はと言えば、小選挙区制度は民意の反映をさまたげる最悪の制度、でも、それでも負けない力を何とかつけたい、それが今の私たちが国民に責任を負うための最大の課題となっている。

 日本共産党は、当面、民主連合政府樹立を目指しているが、これは国民の声を極力反映させ、多数の意見で国つくりを進めるための優れた路線であることの認識を深めることになった。それぞれのお国事情で、革命は独自の路線で行われていくが、目指すところは同じところに行き着く。

 戦争が全くの過去の歴史となって博物館入りし、一人ひとりの個性と能力がそれぞれに花咲き、信じあい、信頼しあうことが当たり前の社会、人間と自然が無理なく共存で切る社会。今はまだその「前史」だというのだから、人類の道はなんと果てしないことだろう。

 自分の命は果てた後のことでも、未来を見通して今を真剣に生きることができる人間の存在は偉大だ。「見通しをもつ能力」は人間が発達の過程で獲得してきた、すばらしい財産である。未来のために、力を合わせることができるのは、人間だからこそと、誇りを持って現実の困難に立ち向かいたい。