コラム―花によせて
その6 アジサイ
今年の梅雨は、長野ではちっとも雨が降らない・・・とおもっていたら降り出せば集中豪雨だからたまらない。
アジサイには似つかわしくない天気だ。やっぱり、しとしと降る雨でこそアジサイのつややかさが生きるというものだ。この頃の気象の異変は、アジサイがそうであるように、全ての生き物とのミスマッチを生んでいる。
それでもアジサイは今年も季節を忘れず、かげった日には特に美しく咲いている。
わが家のアジサイは全て頂き物で、一つ一つに思い出がある。玄関先のピンクのガクアジサイは、12年前の知事選に出馬したときに支持者からいただいたもの、土におろしてとても大きくなった。その向いの空色のガクアジサイは、すでに亡くなった隣のおばあちゃんからいただいた。ボタン色のは・・・・真っ白のは・・・・と言う具合である。
アジサイの花の色合いは、どれもそれぞれに個性的だ。その中でも私がひときわ惹かれるのは、深い瑠璃色のアジサイだ。初めて出会ったときには、心奪われ感嘆のため息が出てしまった。苗場山の登山道入り口付近だった。非日常の世界に誘ってくれた色だった。
時々仕事で高山村の山田温泉に行くことがあるが、シーズンであればなんと言っても楽しみは、道脇の山の斜面にぽつぽつと咲いている、苗場山と同じ色のあのアジサイを見ることだ。
残念ながらこの色のアジサイはうちにはない。いや、里に持ってきてもあの深みを保てるかは疑問だから、出かけていって鑑賞するのがいいのだと思う。
さて「アジサイ」と言えば、私は怖い話を思い出す。だれの推理小説だったか、殺された遺体がアジサイの根元で見つかって、犯人がわかってしまうというサスペンス。犯人は、アジサイが土の酸性度で色が変化する特性があると知らなかったのだ。
アジサイの花言葉は「移り気。冷淡」。
(2012年7月10日 記)