コラム―花によせて
その12 イヌタデ
イヌタデの赤い花は、道ばたや田んぼのあぜ、空き地に存在感があります。正確に言うと花と実なのでしょうが、遠目には、細かい粒々の固まりのようにしか見えません。
だから、きれいだとか、愛らしいとか、そんな感想も持ちにくいし、咲いていることさえ気にもとめないかもしれません。
でも、子どものころこれで遊んだ人は、この花を良く知っていると思います。実をこそいで「アカマンマ」にしたままごと遊びは、今でも私にも鮮明な記憶になっています。
こそげた花や実の一つ一つの形態が、器の中ではっきりと見ることができました。
一目で個性がわかるあでやかな花も美しいが、イヌタデのように、よくよく付き合ってみて良さがわかる素朴な花は、なかなか味があっていいものです。
イヌタデは別名「アカマンマ」と呼ばれています。春から秋も遅くまで咲き続けるので年中咲いているようにさえ思われ、いつでもままごとの材料になってくれました。お人形さんを負ぶって、ござをしいて・・・子どもの定番の遊びですね。
でも、アカマンマが特別に印象的になったのは、いつの頃だったか「おしになった少女」を読んでからです。「キジも鳴かずば」をリメークした昔話ですね。
小豆マンマをせがんだ病気の娘の千代ために、庄屋の倉から盗みをした貧乏百姓のおとつぁん。千代は小豆マンマのおかげか病気が治って、嬉しそうに手まり歌を歌います。「小豆マンマをくったでな・・・」
その歌のためにおとつぁんの盗みがばれてしまった。そして氾濫した川を沈めるための人柱にされてしまうのです。千代は、それっきり、ものをしゃべらなくなってしまった。
なんて悲しく、恐ろしい話でしょう。母親が生きていたときに、たった一度だけ食べたことのある小豆マンマが食べたいという娘の不憫さ、死にそうな娘に何とかして食べさせてあげたいと盗みまでした父親の気持ち。
盗んだ米と小豆は、庄屋にとってどれほどのものだったのか。
それからアカマンマはこの話とピッタシ重なるようになって、ま まごとどころか、見るたび胸が苦しくなったのです。
貧しさゆえの千代とおとうの悲しみは、決して昔の話ではない。今でもイヌタデを見るとやっぱり千代を思い出し、胸を痛めるばかりでなく、庶民をいたぶる政治に怒りがフツフツと湧いてくるのです。
(2012年10月30日)