コラム―散歩道
娘の卒業
母が縫った着物を着て
末娘が、4年間の学業を終え、リハビリ専門学校を卒業しました。3月18日の卒業式に参列するため、新潟県村上市に出向きました。このごろの卒業式は、特に私立はそうなのかもしれませんが、卒業生の着物、はかま姿が当たり前のようになっていて、なかなか派手です。
うちの娘も訪問着をきましたが、私の母が孫のためにと、長女の成人の時に一式揃えてくれたものです。「娘の成人の時は貧しくて着せて上げられなかった。孫の時には。」と、気張って作ってくれました。3人の娘のそれぞれの成人式に来て、長女の卒業式のときにも着て、今度もまた袖を通しました。
だから、額口にはいった写真は、違う場面で同じ着物を着た3人がそれぞれ収められています。母に送るとそのたび「作ってよかった。がんばって、最高の正絹選んだんだよ。」と、満足して喜んでくれるのです。
着物への母の思い入れ
母は、お針の先生だったから、着物にはひとかどならぬ思い入れがあるのです。日常もずっと、着 物姿で過ごしてきた人です。70歳すぎには、「面倒くさくなった」と洋服になりましたが。私の一番印象深い着物は久留米がすりです。無造作に着込んだ清楚な藍のかすりは、しっくりと母の体と一体のものになっていて、それで台所に立つ姿は一枚の絵となり、私の脳裏に焼きついています。
貧乏ゆえ、いつの間にか母の持っていた良質の着物は、すべてタンスから消えてしまいましたが、その絣は透けて破れるほどまで、着込んでいました。さらに「もんぺ」にリホームされ、ついには母が「もうだめだ。」といったとき、私はとても捨てがたく思い、母からそれをもらいうけたのです。しかし「そのうち丈夫なところで何か小物を」と思いつつも、引き出しにねむっているままなのですが、でも、捨てるにはしのびません。
今は85歳になって歩くのもやっと、その母の元気だったころを思い出させてくれる布だからです。そんな風に、着物に思い入れのある母が縫ってくれた振袖ですから、機会あるたび着せなくてはと思うのです。
お金の掛かる卒業式
母の着物を着せてあげる機会にはなりましたが、一方で卒業式はこれでいいのか、との思いは否めません。着付けだけで1万円から1万5千円、着物レンタルで済ませるにしてもなんだかんだと7・8万はかかります。おまけに謝恩会にはドレスに着替えるという念のいれようです。娘は、仕方なく姉のものを借りて済ませましたが、そうせざるを得ないような雰囲気になっているのです。ひとりだけ清楚なスーツ姿になるのは、勇気がいるのでしょうか。卒業生にしても、きれいになりたい要求が湧いてくるでしょう。
でも、国立大学はそれでもまだまだ、質素な気がします。真ん中の娘は、普通のパンツスーツで出席しましたから。就職先への転居などで物入りの時に、さらに負担が多くなって、親は悩ましいところです。
聞くところによると、そこまで親に負担をかけられないと、その日のための費用を捻出するために、必死にアルバイトしている学生もいるそうです。商業ベースが先行して、本当に大切なことではないところで、気も、お金も、エネルギーも使わされていることは残念でなりません。
心に残る卒業式を
卒業式は新しい人生へ向かう出発点、4年間、共に励ましあい学びあってきた仲間との生活を反芻し、培ってきた人間の信頼関係を支えに、社会人となっていく、人生最大の区切りとなる時です。しかし、今回の卒業式、壇上には「日の丸」が掲げられ、「君が代斉唱」もありました。
「日の丸」「君が代」の押し付けは、内心の自由を侵すものです。戦犯である天皇を敬う歌など、希望に満ちた卒業式にまったくふさわしくありません。だいたい、歌を知らない子も多いのか、学生はほとんど歌ってなかったし、重いうなり声が響いただけ、地獄に落ちて行くような雰囲気でした。
それに対して、卒業生の全員合唱は親の涙を誘いました。最近の曲でなかなか素敵な歌でしたが、「感謝の気持ちで歌います。」と、先生や親にお礼の言葉をのべた代表の学生も、涙で言葉が途切れていました。学生が主人公となって、希望と勇気をもって人生の船出が出来る素敵な言葉も添えて、心に残る卒業式を計画してあげたいものだと、3月にはいつもおもいます。
社会人、おめでとう
村上市は、文化の香りが漂う落ち着きのある城下町で、娘の通った専門学校が、高校から上の唯一の学校です。ですから、街上げて学生さんを大切にするふんいきがあり、また、人情に厚い県民性も手伝って、学生は、暖かい人間関係の中で、暮らせてきたと思います。
学生も、都会のように遊ぶところもなく、いつも行動を共にすることも多いから、密接な人間関係が出来ています。よく、助け合っている姿が、娘の話からも伺えていました。一番大切なことを経験した学生時代だったのではないか、と、私は喜んでいます。
大学や専門学校卒業で泣くかしら、とは私の考え。自分の大学卒業のときは、もっとさばさばしていました。卒業式を思い出しこともできません。心に残る式ではなかったのだと思います。でも、娘の友人たちは、あっちでもこっちでも泣いていました。それだけ、こころが結びついていたのだろうと、ほほえましく眺めましたが、のちのち、思い出したとき、何が印象に残るのかなとかんがえたことです。
村上で過ごした日々を力にして、社会人として元気に暮らして欲しい、卒業生一人ひとりに、エールを送りたいと思います。