コラム―散歩道

今年もまた苗場山

 苗場を愛する仲間と
 苗場山は2145・3メートル、長野県と新潟県にまたがるどっしりとした山です。山頂が平で四キロメートル四方の大湿原、このような山は国内にはほかにないそうです。
 苗場をこよなく愛する仲間がいて私もその一員、このグループは、毎年決して忘れることなく苗場の登山計画を立てます。
 苗場山は、いつも違った表情で私たちを迎えてくれるので、何度登っても飽きるということがありません。

 今年は体調不良者が出たのでいつもの半分、私を含め四人のパーティとなりました。石坂ちほさん、栄村議員の広瀬さんも一緒です。栄村村営の山頂のヒュッテで泊まり、翌日は、秋山郷「のよさの里」で温泉にはいってゆっくりしてくる、一泊二日のコースが恒例です。体調不良のメンバーは「のよさの里」で泊まり、登山組と合流しました。

 ブナと語らいながら
 苗場の登山はブナ林に始まります。秋山郷から入って三合目、ブナ林のど真ん中に登山口があります。体が吸い込まれるようにして歩き始めます。ブナの巨木に「また来たよ」と言うと、ざわざわ・・・と歓迎の葉音です。九時五十分出発。アジサイの瑠璃色の花がくっきりと目に入りました。

 しばらくは悠々としたブナ林を、ゆっくり歩きます。色合いの優しい幹が、人は自然と一体の命であることを語りかけてきます。現実の追われる生活が遠いものになり、太陽が沈むまでというスパンのゆるやかな時の流れに、だんだん身がなじんでゆく心地よさを感じるときです。

 ブナは次第に姿を消し、コメツガやダケカンバが目立ってきて、視界が狭まった笹の道に入ってゆきます。タケシマランの赤い実やカラマツソウの白い花、高度をかせぐと、シャジンや、シモツケソウもちらほら見られますが、地味な道をひたひたと登ります。

 ところが七合目からは急勾配となり、八合目を登りきった時、突然、本当に突然、視界をさえぎるものがすべて消え、目の前に大湿原が広がります。この瞬間が苗場のたまらない魅力なのです。

 湿原を行く
 九合目からは、木道をゆっくり歩きます。はるかに広がる湿原に、イワショウブは真っ盛り、ワタスゲの白い綿が、ちぎれんばかりに風になびいています。遠くに藍色の山なみを臨んで大自然の真ん中に立っている私の心には,余計な物が何もなくなっていました。

「天へ飛び立っていくような歓喜と
永遠のものに包まれてしまった哀愁と
それが儚い(はかない)人間には必要なのです」

串田孫一さんのこの詩は、なんとも心憎く気持ちを言い当ています。

 この夏の異常な高温は、湿原にも深刻な影響を及ぼしており、小さくて浅い池塘は干からびてひび割れていました。
 高山植物の多くは、地球の氷河期の種子です。氷河期にはどこにも咲いていた花でしたが、温暖化によって生き延びる場所を求めて、寒冷地の高山へと移動しなければなりませんでした。

 この暑さは、例年になく西のほうに大きく張り出した高気圧によるものだそうですが、それだけではなく排ガスなどによる地球温暖化も指摘され、それは一般的な認識になっているところです。京都議定書も守れないようでは、今度は人間の身勝手さが貴重な高山植物を絶やしてしまうことになりかねません。ため息がでました。

 未踏の湿地帯を踏んでひょうたん池に
 湿原の途中で、栄村役場の職員のYさんにばったり会いました。栄村議員の広瀬さんとは馴染みの仲、「やあ、広瀬さん」と。「仕事です。ひょうたん池まで木道を通すことになってね。自然保護連盟と合意ができまして。今日は、その調査で、環境庁、営林署、県の環境自然保護課、業者も一緒なんですよ。どうですか、ひょうたん池にいってみませんか。」

 木道をはずれ、恐れ多くも!未踏の湿原を踏んで案内してもらったひょうたん池は、今まで見たことのない大変大きな池塘でした。苗場山最大ということで、周辺はひときわ美しい湿原が広がっています。
 数千年の月日を重ねてできた池塘は、コケ類が土を盛り上げることでできた窪地に、水がたまった池です。
 ひょうたん池のまわりには、モウセンゴケがびっしり生えておりました。直径5ミリもないくらいの葉一枚一枚の周り全てに、更に更に小さな水滴がリング状に光っていました。あれほどの美しいモウセンゴケ群は初めてのこと。
 きらきらした赤い帯で飾られたひょうたん池に、私たちは異口同音に感嘆の声をあげたのでした。
 木道の予算はすでに付いているとのこと、もうすぐ誰もが楽しめるようになることでしょう。

 その夜のヒュッテでは、調査団も泊まったのでいつになく賑やかで、チョットだけビールを飲んでの交流も楽しみました。

 今年も新しい発見の苗場山でした。来年はどんな顔で迎えてくれるでしょうか。
                   (2004・8・3〜4に登山・8・12記)