コラム―散歩道

虫歯の話

歯医者に行くのは勇気が必要

 5年前、親不知が痛くてたまらなくなって受診しました。そのとき私は、初めて衆議院の候補者となって、総選挙の戦いに挑んでいたときでしたから、歯医者さんが、「選挙本番になって痛くなったらいけないから、抜いてしまいましょう」と言うのです。

 仲間には「親不知を抜けば痛くて3日は寝込むよ。ぎりぎりと根っこを割って抜くのだよ。」と散々脅かされ、ドキドキものでしたが、大変素直な歯だったのですっと抜け、麻酔が切れた後もまったく痛くありませんでした。しかも虫歯になってはいなかった!ストレスだったのでしょうか?

 歯医者はいつでもいやなもの、それ以来今回まで、5年間はご無沙汰していました。しかし、しみる歯が出てきてしまったのです。今回も手に汗を握って緊張しっぱなしでした。

 毎年、健診に行けばいいものを、「のどもと過ぎれば・・」で、つい行かずじまいになってしまします。「8020」、80歳にして20本が目的ではあるのですが。

子どもは虫歯にしたくない

 「虫歯は親の責任、私の虫歯も半分以上は親に責任。」と私は常々思っています。「なんで母は幼い子どもたちの歯を守ってくれなかったのか」と残念でなりません。

しかし、私が育つころは、母は13人家族の貧乏所帯を切り盛りし、その上105歳まで生きた姑の世話もあり精一杯の生活だったでしょうから、子どもの歯の健康まで頭も体も回らなかったのでしょう。

また歯ブラシの大切さも、一般的に日常生活に根付いていなかった時代でもあったと思います。

私の歯は全部自分の歯ではありますが、奥歯は無残にすべてが修理済みです。

だから私は子どもが生まれたとき「自分の子どもの歯は守ってあげたい」と、決意しました。

方針を立てて実行する

 丈夫な永久歯が生えるためには乳歯の健康が大事、そして永久歯が生えそろってからエナメル質が硬くなるまでの間を守りぬけるか、ここが最大の鬼門です。

 そこで私が出した方針は、子どもには規則正しい3度の食事を大切にする。おやつは日に一回、甘いものは与えない。あめもアイスもスナックも饅頭もジュースもすべて追放しまた。

 おやつは手つくりの蒸しパンや砂糖を控えた手つくりプリン、もろこし、にらせんべい、お芋、果物、などなど。ケーキは誕生日やクリスマスなど、特別の日のものとしました。

歯ブラシは小学校中学年になるまで、毎晩、最後はデンタルフロスも使って親が点検しました。大学に行くまで、私の目の届く限りは、定期健診を促しました。

 その結果、娘は3人とも、大変美しい歯を保っています。「どうやったらこんな風にできるのかね。私の子どもは虫歯だよ。」と歯医者さんも驚きました。

しかしです!

 歯は守れました。規則正しい生活習慣も身につきました。「よく食べよく遊びよく寝る」これは私が子育てで一番大切にしてきたことです。

しかしです。

 「朝ごはんをちゃんと食べないと、学校へ行かせてもらえないほどだった。登校班の友達が待っていても、許してくれなかった。」

「みんながジュース飲んでる時、欲しかった」と、今になって娘たちは厳しかった母を語るのです。

 ある時、娘たちの歯を誉めてくれた歯医者さんがつぎのようにも言いました。「ちょっと虫歯になるくらいのほうがいいのではないかな。」 歯医者さんとは思えない言葉ですが、私は「ハッ」と悟ったのです。歯医者さんが言いたかったことを。

 方針はたしかに間違いはないけれど、子どもの心をわかってあげるゆとりが足りなかったのではないかと。

 孫が生まれたら私はやっぱり、基本的には同じ方針で孫に接すると思いますが、今度はゆとりを持ち、融通を利かせて付き合えるかな、と思っています。

 それにしても、今の子どもたちの食生活のベースが崩れすぎていることは大問題、当たり前を守ることが大変な努力を必要とするのですから。

 ありがたいことに、娘はこうも言ってくれています。「朝ごはんをしっかり食べる習慣をつけてもらえたから、いまでもきちんと食べている。」

救いはおじいさん、おばあさんだった

 娘たちが成人し、幼い日々のことを話すようになって解ったことですが、バランスを保ってくれたのはおじいちゃん、おばあちゃんだったのです。

「おじいちゃんが長野に来た時は、湯谷団地から毎日善光寺へ散歩に行った。動物園でサルを見て、そこでいつもアンパンを買ってくれたの。すごく嬉しかったけど、お母さんには黙っているんだぞ、って言われてたんだよ。」

 「おばあちゃんからかもめの卵(宮城のお菓子)をもらって、本当においしかった。」「保育園の帰りにアイスなめたんだ」などなど。

 一緒に住んではいませんでしたが、一年の内半年くらいは行ったりきたりしていた私の父と母は、こうして子どもの心を満足させる良い役割を果たしてくれていたのでした。

 母は86歳、弱る体とは反対に、気持ちのほうはますます頑固になってくる姿を見て悲しくなるとき、昔を思い出して、大切にしなければと思うこのごろです。

(2005年11月7日記)