コラム―散歩道
今輝く「宮本百合子」
播州平野」と「風知草」
開催中の国会では、日本の進路を決める重要法案が次々上程されています。
国民投票法案、教育基本法改悪案、共謀罪、医療法の改悪など。「九条」を変えるための国民投票法案は与党だけでなく野党第一党の民主党までも提案し、衆議院での審議が始まりました。そんな時、私は、百合子の「播州平野」とそれに続く「風知草」を、特別の感慨をもって読み返しました。
「日本中が森閑として声を呑んでいる間に、歴史はその巨大なページを音もなくめくったのであった」と表現された、歴史が凝縮された8月15日の瞬間から始まる「播州平野」は、終戦直後の状況の鋭い観察と、何より、私は百合子が、戦争によって翻弄された女性のこころに寄り添って、絶対的天皇制を告発し、未来への希望を抱かせるところに、作品の価値を感じています。
ひろ子は、夫重吉の実家にいた。そこは「後家町」と呼ばれていた。ひろ子は戦死した重吉の弟の妻つや子の、くたびれはてて笑顔もなくし、片意地を張った突き刺すとげのある態度に遭遇します。
一家の中心の男を失ったことで、ぎすぎすした人間関係となっている石田家のくらしを、百合子は「戦争の真の恨みは、どういう人々のところにこそあるだろう。国体は隠しておいたほうがいいでしょうかと不安げに聞いた白衣の人(傷病兵)の瞳の底にあった。そして「後家町」の、ここにある。日本中、幾十万ヶ所にできた「後家町」の、無言の日々の破綻の中にある」といっています。
さらに、政治犯として12年の長い間獄中にあった重吉が、治安維持法の解体で釈放になるとわかったときのひろ子の歓喜、しかし、「後家町」の屋根屋根を見たとき、われを忘れて前のめりになっていた感情のはやりから「急にひきもどされ」るのです。
ひろ子は、自分から正気を失わせるような歓喜と期待、輝かしさに対して萎縮し「悲しい妻に対して、最もしのぎやすい形でこの喜びを表現するのがひろ子の義務ではないか」と思いやります。
「播州平野」に続く「風知草」では、ひろ子は重吉に「後家のがんばり」を指摘され涙しますが、「本当に後家になった日本の数百万の妻たちには、誰が親身にそのことを云ってくれるのだろう。一生懸命くらせばこそ身につきもするそういう女のがんばりについてその一途さにねうちがあるからこそ、一方のひずみとして現れるがんばりは、もっとひろやかで聡く柔和なものに高めなければならないのだと、誰が夫のいない暮しのきつい後家たちに向かって云ってくれるだろう。そして、がんばらずに生きられる条件を見出してくれるだろう。」と、深く洞察するのです。
「誠実と理性」の人
百合子は、ロマン・ロラン著の「魅せられたる魂」の主人公アンネットを、これまでにない自立した生き方を求める新しい女性像として高い関心を持ち、自らもアンネットと同じ資質を持つ女性として自分をごまかさずに生き続け、女性の参政権確立や地位向上のためにも力を尽くしてきた先見者です。
ナチス・ファシズムの迫害に屈せず自分を偽らず画家としての良心を貫いたケーテ・コルビッツのような女性を敬愛するとともに、一方では、決して強くはない普通の女性のこころのひだ深くまでやさしく触れます。生きているそのままの女性を理解する百合子の愛情の広さに私は敬服するのです。
「播州平野」では百合子はこう書いています。「ひろ子の小説が禁止されなければならないわけがあった。ひろ子の人間として、女としての訴えが真実であり、その表現が万人の女性のものであればあるほど、禁止されなければならない理由があった。それは、ひろ子が天皇と愛国心と幸福と建設のためにと証して行われている戦争に対して、信頼できないこころを持っている女だということであった。」
百合子にあてた「獄中からの手紙」で、宮本賢治は述べています。「空気は欠くことのできないものだけに、人は年中その恵みに接してその意義をあらためて考えないが、僕は、僕の「空気」に対して改めて敬意を表したいと思う。・・・僕の「空気」は誠実と理性に充満した良質のものである」
百合子は女性の立場も、「誠実と理性」で受け止めていた人でした。
百合子は1951年1月20日、病のため、51歳の命を閉じました。百合子の生き方とその作品は、私たちに警鐘乱打しています。
「決して、後戻りさせてはならない。戦後のあの開放された国民の喜びをさらに発展させること、それが、かつての侵略国日本に生きているあなた方の歴史的な役割ではないでしょうか。」と。
( 2006・6 記)