コラム―散歩道

8月と「純情きらり」

 ひたむきに生きたひとたち

 8月に入りました。広島原爆投下された6日を前にした4日、広島地裁が被爆者原告全員に原爆症認定し、全員勝訴のうれしいしらせ。そして「歴史はその巨大なページを音もなく」めくり、国民が戦争から解放された15日を目前にしてNHK朝のドラマ「純情きらり」が、あらためて平和を語りかけてきます。

 最近のNHK朝ドラは、リアリティにかけ、展開に無理があり、主題があいまいだったりしていまひとつ評価できないものが多かったですが、「きらり」はその点丁寧な作品になっていると感じています。
 他のテレビ番組が「お笑いもの」や料理番組「どっちの料理」など瞬間の楽しみを扱うものが目立つ中、「きらり」は、朝ドラなのに戦争の時代を背景にしているのですから、重い作品かもしれません。

 その重さを超えて引き込まれるのは、今があの時代と似ている状況があるからではないでしょうか。
 しかし、あの時代と違う決定的な条件は、大きく広がっている平和運動のうねりです。祖国の進路をめぐる歴史的なせめぎあいを「改革の展望」の目で見れば、「きらり」は、「決してあの道には戻らない」と鼓舞してくれる作品になっていると思います。
 そして何より、時代に翻弄されながらも、ひたむきにたくましく生きたごく不通の国民の姿が、スペシャルドラマではなく毎日放映されるところに、私は魅力を感じているのです。

 脇役がいい

 「きらり」の魅力は脇役の確かさです。個性的にしかもでしゃばらずドラマを盛り上げている役者の演技力は、大変優れていると思います。
 寺島しのぶさんの笛子役、長女らしい責任感のあるまっすぐな気質が良く出ていて、感心します。
 笛子の名場面は、何といっても教員を辞めると決意して、教え子に「どんな時代になっても自分に正直に生きるのよ」と語ったあの演技です。
 時勢に合う教育をしろとの強制に対し、心の自由をまもるため凛として望んだ姿は、感動的でした。
 桜子役の宮崎あおいは、姉、父、達彦の母、きよしなどなどの名脇役に恵まれて持ち味を生かせている、と見ています。

 マロニエ荘の画家たち

 東吾を慕ってマロニエ荘に集う画家たちの苦悩は、「きらり」の底辺に流れているテーマだと思います。音楽を目指す桜子が主人公である限り、桜子もこのテーマから逃れられないはず、と見ています。

 芸術は、情緒に直接働きかけ、心のありようを左右する絶大な魅力を持っています。だから権力者は、民主的な作品が出ることを恐れ、戦争時、画家や音楽家を「あそんでいるごくつぶし」と迫害し、一方では、戦争を鼓舞する道具、重要な武器として使いました。
 「君が代」を歌わせたいのも、ビクトル・ハラが殺されたわけも、民衆の当たり前のねがいを封じ込めるため。
 カラヤンやワーグナーは、ナチスに頭をたれ、ロマン・ロランやバリュビスは反戦で立ち上がった。戦争になれば、芸術家もまた生き方をはっきりすることを求められたのです。
 食べてゆくためには心を偽って戦争を鼓舞する絵を描かざるを得なかったマロニエ荘の画家たちの心の葛藤は、当時の芸術家や学者の良心の苦しみそのものではないでしょうか。
 虐殺された小林多喜二の背後には、こうした良心的な芸術家や学者が多数いて、戦争の国策に抵抗を示していたのです。マロニエ荘の画家たちは私に、民衆の力を確信させてくれるのです。   

 無言館に思う

 マロニエ荘は、私に「無言館」を思い起こさせます。
会場は、戦没画学生の展示館「無言館」の絵、残された手紙、遺品はから伝わる戦没画学生の無言の言葉で満ちており、厳粛な雰囲気が漂っています。23歳、27歳、29歳と、みんな明日を背負う若い青年たちでした。
 キャンバスと絵筆をおいて戦地へ赴いた青年の心はいかばかりだったろうか。初めて描いた妻の裸婦像がありました。「この続きは帰ってきて必ず描くから・・・」しかし、彼は帰ってくることはできませんでした。
 画学生の絵だけに未熟なものもありますが、しかし、その絵や、セピア色になった自筆の文字の手紙やハガキから伝わる彼らの無念は、私の戦争への憎しみをかきたてました。

 桜子の音楽への情熱と苦悩は今後、どう展開するのだろうか。「無言館」の画学生を出した時代背景とマロニエ荘の画家たちの生活をバックに、桜子ももっと時代と向き合い葛藤する姿を描き出して欲しい、このドラマのテーマを見失って欲しくない、とは私の期待。
 はたしてNHKは私の期待に応えてくれるでしょうか?
                            (2006年8月6日 記)