コラム―散歩道
世界とつながる日本の文化、囲碁・将棋
格調高いしんぶん「赤旗」囲碁・将棋大会
毎年秋に開かれるしんぶん「赤旗」主催の赤旗名人戦は、日本最大規模のアマチュア大会、やはり赤旗主催の若手プロ棋士の登竜門「新人王戦」と並び、格調の高さでは他の大会に引けをとりません。
歴史も長く今年は第44回、11月11,12日に行われる名人戦をめざし、盛んに地区大会が開催されているところです。
ここ数年、私は地区・県大会の実行委員会代表の役目をいただいております。といって、私が囲碁・将棋が趣味かというとまるで違い、せいぜい五目並べと将棋倒しくらいしかできません。ですから、開会のご挨拶が何とも難しく、毎年同じことを言うわけのもいかず、苦労しています。
そんなわけで囲碁・将棋に関する本を手にとるようになり、ゲームはしないまでも、別の角度から歴史のある素晴らしい文化だと認識を深めているところです。
二千年以上もまえから
囲碁の起源は中国での星占いにあるらしいが、春秋時代(BC770〜BC403)には存在していたらしく、前漢の景帝(在位BC206〜BC141)の陵からは碁盤がでてきています。粗末なものなので、高貴な人ではなく墓番が使ったと思われます。そのころにはすでに庶民のゲームとして楽しまれていたということでしょうか。
将棋のほうは、古代インドで発明された「シャトランガ」というチェスの原型をなすゲームが起源とのこと。これはチェスやチェスに似たゲームとして世界中に広まっていますが、日本では将棋として独特の発展を遂げました。
将棋は、立体系の駒を持つチェスと違い五角形の平たい駒、しかも漢字をつかい、駒を再使用できる独自のルールを持っています。漢字ゆえに、将棋として世界に広まるためには難点があります。
さて、どちらもいつ日本に入ってきたか定かではありませんが、奈良時代には盛んに打たれていたようです。奈良の正倉院には碁盤が納められているということです。余談ですが、この正倉院、なんと休日はお休みで見学できません。この夏全障研奈良大会に行った時、私は昼休みを利用し、タクシーを飛ばして正倉院に向いました。残念、日曜日だったので入れませんでした。観光地なのに休日に閉鎖とは! それは正倉院管理が宮内庁の管轄だからでした。
信長、秀吉、家康、そして庶民へ
信長、秀吉、家康は囲碁好きで、三人とも囲碁では抜きん出た力量の日蓮宗の僧侶、日海を師としました。日海は後の「本因坊算砂」、「本因坊」の元祖です。
信長は本因坊算砂に「名人」の称号を与え、秀吉は扶持を与え身分を保証し、家康はさらに「名人碁所」として囲碁界のまとめを命じ、公認プロ棋士が誕生したのでした。三人の囲碁でのつながりは新しい発見でした。
八代将軍吉宗は、家康の命日十一月十七日を「御城碁」「御城将棋」の日と決め、毎年対局を行いいっそう活発になってゆきます。この日が現在の「将棋の日」になりました。「囲碁の日」はごろあわせで一月五日だそうです。
奈良、平安時代には貴族のたしなみだった囲碁は江戸時代には黄金期を迎え、庶民の文化として花咲いてゆきます。将棋もまた庶民の中に広がってゆきました。
明治維新で幕府というパトロンを失った家元制が崩れ、プロ棋士が路頭に迷う苦しい時代を経て、囲碁・将棋会の再生が図られ戦後の歴史へと続いてゆきます。
文化は押し付けられるものではない
囲碁・将棋好きの方の、信じられないほどの集中力とこだわりに驚くことがあります。
落語の「碁泥」はそれを見事に語っています。囲碁好きの泥棒が、寝ずに囲碁打ちをしている家人の間に座り込み、口を出しはじめ一緒になって囲碁に夢中になるという話。
さて、本日安倍内閣が誕生、安倍内閣は臨時国会で教育基本法改定を狙い、海外で戦争できる国つくりのために、無制限の国家統制を目指しています。
改悪案では、日本の「伝統と文化を尊重」しろとか、「それをはぐくんできた郷土を愛する態度を」養えと明記、しかしこれらは法律で押し付けることで育つものではありません
例えば、囲碁、将棋も日本を代表する伝統文化です。二千年以上も前に生まれた原型を引継ぎ発展させ、広く民衆に愛されるようになったわけは、「碁泥」にあるように、何より面白いからです。より楽しく生活したいとの庶民の知恵と工夫が、囲碁や将棋をここまで育て広げてきたのではないでしょうか。
日本の文化は、アジア諸国と切り離して考えることはできません。漢字ひとつとってもそうです。囲碁・将棋も中国、インドから影響を受けています。
それなのにことさら「伝統」「郷土」を強調するところに、私は、時代錯誤の排他的な国粋主義のにおいを強く感じるのです。教育基本法改悪を許してはならないとの気持ちを強くしています。
(2006・9・26 安倍内閣発足の日 記)