コラム―散歩道

新緑の5月のキャラバン

支部・後援会のみなさんと一体になって

 4月22日投票のいっせい地方選挙を終えた5月3日、参議院選挙勝利の全県キャラバンがスタートしました。10日までの8日間で全県を一周しました。

 かぜかおる緑の5月、広がる水田、花盛りの果樹園、カラマツの芽吹き、残雪のアルプス・・・長野県全域で美しい季節を堪能できたのですから、誰よりも贅沢な連休を過ごせたということでしょうか。

 出発式は信濃町、訪れた全県各地ではそれぞれ街角演説会が準備され、前半は連休中にもかかわらず、多いところでは30人以上集まってくださいました。その周りでは必ず何人もの方が立ち止まり、また家の中でじっと聞いている方がおり、大勢の方に党の政策を訴えることができました。最終日の飯田市では、あいにく雨と雷に見舞われましたが、それにもかかわらず聞きに来てくださった皆さんには、感謝と感動でした。

 支部と後援会の皆さんの街角演説会成功のためのがんばりに、参議選勝利への構えがひたひたと伝わってきて、大いに励まされました。

 いっせい地方選挙で激戦をたたかいぬいた皆さんですから、どこへ行っても自信と明るさに満ちており、わたしの元気も相乗的に広がりました。

全国規模の活動でした

 宣伝カーへの車からの手振りの多いことにはびっくりでした。通行人も、畑で働いている人もよく手を振ってくれ、中には畑仕事をやめて両手を大きく振ってくれた熱烈な人や、「がんばれー」と声をかけてくれる人も。ある町では、演説が始まったら、通り沿いに湧き出るように玄関先に人が出てきたり、タクシーの運転手さんが何人も車から降りて聞いてくれたり・・・「今、本番だった??」と思うときもあるほどでした。

 いっせい地方選挙後、「国政を変えて」との共産党への大きな期待を感じました。

 連休中で県外の観光客も多く、全国規模の活動もしました。

 信号待ちで隣の車の窓が開き「わたしは名古屋です。応援できませんが・・」「あ、それなら八田ひろ子さん、今度は絶対落とさないで!」

 「八王子から来ました」「田村さん、よろしく。比例は全国一緒です」

 演説前、愛想のよくなかったおじさんは「私は千葉から来ました。話わかりました。千葉で共産党に入れます」とのお返事、うれしかったですね。でも、「私は市外だから選挙できません」という方もいて、選挙制度が複雑で弱りものです。

うれし涙にかえるために

 今までの国政選挙で何回もキャラバンをやってきましたが、今回ほど、「涙」との出会いが多かった経験はかつてありませんでした。最後の2日間は、赤旗の中央政治局の記者が取材のため、宣伝カーに乗り込み同行してくれましたが、「今回のキャラバンのキーワードは・涙・ですね」といわれたほどです。

 「もう年金では暮らしてゆけない。毎日手を合わせて拝みますから、頼みます」

 「つらい戦争はもういやです。戦争だけはやめてほしい」

 「生きているのがつらいけど、自殺するわけにもいかない」

 「80歳過ぎても障害のある子の世話をしています」

 などなど・・・・・握手したまま、何も言えず、じっと涙を流す方もいました。私も、思わずもらい泣きする場面もありました。

 平和への切羽詰った危機感、追い詰められている生活の実態が涙を流させているのです。涙の中に「共産党しかない。助けてほしい」という言葉が聞こえてくるようでした。「共産党に期待」という言葉では表現が軽すぎると思うほど、皆さんはもう「長く待ってはいられない」ところまで来ているのです。

 わたしたちは決して贅沢させろといっているわけではない、3度のご飯を食べることができ、子どもを普通に育てられるだけの当たり前の生活を求めているのです。当たり前の静かな生活が送れる平和を失いたくないのです。

 私の国政選挙への挑戦は、今回で4回目です。今までそのつど力いっぱいがんばってきましたが、今回ほど、共産党の国民への責任を強く感じているときはありません。

 国民の苦難を取り除くことが共産党の仕事です。

 そして私がなぜ党に入ったかといえば、私が大学生のとき、貧乏で無年金者だった65歳の父親が、仕事中に機会に挟まれ右腕を切断、「これで老後が保障された。右腕一本で安いもんだ」との言葉に矛盾を感じ、「貧乏は父ちゃんのせいではない。貧乏をなくそう」と思ったから、貧乏と戦争をなくすそうとする共産党を知ったからです。貧乏と戦争は表裏一体のものです。

 比例の井上さとしさんの勝利はもちろんのこと、長野県2議席を、戦争を推進、生活を破壊する政党にゆだねていいものか、そう思っています。

 私の信条は「希望はつくりだすもの」です。

 キャラバンを通して、党支部・後援会のみなさんと団結してがんばれば、困難を打ち破れる、いや、打ち破っていこうとの力が湧きました。皆さんの涙を、うれし涙に変えるために。              

(2007年5月11日記)