コラム―散歩道

乗鞍岳トレッキング

娘の計画で

 参議院選挙を終えて迎えた盆休みは、帰省した娘たちと過ごした。長女夫婦の計画で、乗鞍岳トレッキングを楽しみ、白骨温泉で汗を流し一泊してきた。

 長女から事前に計画書が届いた。彼女はまめな人間で、スケジュールを組み宿も取り、シャトルバスの運賃からトレッキングコースの地図、土地の歴史やいわれも調べて資料にし、朝の散歩コースまでしっかり組んでくれていた。

 祖母を連れ出すときは、トイレやレストランのありか、和食か洋食か、果ては、宿での食事は祖母に合わせて特別やわらかくしてくれるか、まで交渉してくれる綿密さ、彼女の仕事は医師だが、旅行会社でも十分、力を発揮する人材ではないか、と私はひそかに思っている。

 あんまり綿密なものだから、デレデレタイプで風まかせのわれわれ夫婦には窮屈なときもあるのだが、今回は大満足であった。

 乗鞍であっても、一応3000メートル級の山の大地を踏みしめ、花と風と広大な景色を堪能したのだから。

 娘がトレッキングの計画を立てるとは思わなかった。彼女は高校のとき、唐松岳と蝶ヶ岳に登ったきりで山岳部を止めてしまった。「山頂での気分は最高だし、景色もいいけど、あんなに苦しい思いするのはいやだ」と。

 山岳部の悪しき慣わしで、重い荷物をしょっての訓練もどきの登山をやらされたのではないか・・・と私は思っている。最初の登山は、「また登りたい」と思わせることが大事な目的だと私は思うのだが。

 娘は、大学時代はバトミントン部で活躍したから本来スポーツは好き、連れ合いが学生時代登山部だったそうで、あまり苦労なしで登れるなら自然を満喫したいとの気持ちが復活したのだろうか。

 「選挙で頑張ったお母さんへのプレゼントじゃないの」と言ってくれた人がいたが、そうは思えないが、そう思えば幸せである。

天空への道が軍用道路に

 乗鞍岳の最高峰、剣ヶ峰は3026メートル、しかし2700メートルの畳平まで車でいける。自然を守るためにマイカー禁止になっているのでシャトルバスに乗り換えて約1時間、2700メートルまで運んでくれるのは、良し悪しは別にして乗鞍岳だけだ。1時間半歩けば、山頂だ。あっけなくて「登った!」という充実感はいまいちだが、さすが3000メートルの山頂では気持ちが清々した。

 なぜこんな高所まで車が入るかと言えば、発端は戦中の軍用道路として開発されたことにある。陸軍航空本部が航空エンジンの開発を行なうことが目的だった。高度1万メートルでB−29と対抗するためには、日本の航空機は未熟だったので、タービンの開発が進められており、高所でのテストのために3000メートル級の乗鞍が選ばれたというわけだ。女性的でなだらかな山であったことも理由かもしれない。それでも、畳平までの軍用道路の建設がどれだけ困難だったかは、容易に想像できる。畳平の乗鞍山荘は、航空実験場だったところを払い下げしたものである。

 それは1939年のことで、戦争への道をまっしぐらに進んでいたさなかのことだった。軍用道路が登山道になり、バス道路になって、天空への道、聖山乗鞍岳は庶民の山になった。誰でも登れる山になることと自然の破壊は、残念ながら平行して進むものであって、開発の場合はその兼ね合いが難しい。

 先立って1934年には、乗鞍岳は国立公園に指定されているが、軍用道路の開発にはそれはなんの歯止めにもならなかったと言うことだ。

それでも美しく楽しい思い出

 山道らしい道は、肩ノ小屋からの1時間ほどの道程、あとは整備されすぎていて、私としてはつまらない。

 でも、山頂での汗をかいた肌に心地よい、冷たい風と展望はすばらしく、お花畑では、黒百合は終っていたが、ヨツバシオガマ、イワギキョウ、コマクサなどが私たちを迎えてくれた。そして白骨温泉で汗を流した心地よさは最高であった。

 夫は盛んにお花に向かってシャッターを切っていた。娘の撮った写真と夫のお花の写真は、思い出の凝縮となってCDに納まっている。

(2007年9月1日記)