コラム―散歩道
老いた母との温泉旅行
強力な介添えメンバー
母は88歳、私の子どもが小さいときには父母にはさんざん世話になっておきながら、「親孝行したいときには親はなし」との言葉、実感しています。いつも自分の生活で精一杯。だから一年にたった一回だけでも一緒にすごしておきたいと、ここ数年、母を温泉に連れ出すようになりました。
温泉には、いつも彼女の孫たちに同行してもらいます。介添えは私一人ではとてもできませんし、孫たちはみんなおばあちゃんっ子で、楽しみに行ってくれます。
今回は私の末娘の高穂と、母と同居している姪が同行してくれました。娘は理学療法士、姪は看護士として働いています。これほど力強いメンバーはありません。彼女らの介助を見ていると、てきぱきと要領を得ていてプロだなと感心します。
お年寄りと暮らすということ
旅行の計画は一ヶ月前に立て、母に手紙を書きました。早くから知らせておけば、待つ楽しみが、刺激の少ない生活に光を放つと思って。耳も遠い上に、このごろは目が見えなくなってきているので、手紙はマジックで大きく書いています。
さて、ここ一年、母は物忘れが大変激しくなってきました。姪の報告だと、さっき出たばかりなのに「お風呂に入ったかねえ」と聞くそうで、認知症が徐々に進んできています。
月の半分はショートステイを利用、自宅の時はヘルパーさん利用で何とか介護を乗り切っていますが、私の弟は単身赴任で、月一回も自宅に帰れない勤務だし、義妹をはじめ一緒に暮らしている家族は、どこのお宅とも同じように、きれいごとではいかない生活の毎日です。姪にも大きな負担がかかっています。
母は、一年前程までは険しい目をして攻撃的な言動が多く、また、悲観的な考えに陥ることも多くありました。このところ、認知症の症状が悪化したのか、変化したのか、おとなしい穏やかな母になってきました。しかしそれは、喜びや悲しみの感情が淡々としてきて、人生の感動が薄れてきているということなのです。
大変な苦労、いやな思いも山ほどあっても、姪は「おばあちゃん、このごろめんこくなったよ。おばあちゃんがうちにいるときは仕事終るとすぐ帰りたくなるんだ」と言ってくれます。
そして「温泉のこと、おばあちゃん忘れてるよ。おばちゃんの手紙を見ると、そのたび初めて知ったように大喜び。いつも新鮮、何度も喜べていいんじゃない」
「あるがままを受け入れる」介護の原点を、20歳そこそこの姪があっけらかんと言うのです。
娘や孫たちのおばあちゃんへの対応は、やはりおばあちゃんにかわいがられた経験が土台にしっかりあるからなのだと思います。
豊かな人生経験でゆったりと、「目の中に入れても痛くない」ほどかわいがってくれるお年寄りは、子どもの心にかけがえのない宝を与えてくれるものだと、思っています。それは、弱きものへの優しさだと思います。
お年寄りの孫への愛情は「無条件」です。だから、孫たちもいま、無条件で母を受け入れているのでしょうか。ともすれば気持ちが荒々しくなる昨今、心が洗われるような思いをしました。
私も「もうじきお母さんの番になるから、よろしくね」と、子どもの世話にはならないなんて突っ張らずに、素直にお願いできるようになってきています。
「夢を見たよ」
さて、ホテルでの朝、同室で泊まった姪に母はこう言ったそうです。
「夕べは夢を見たよ。さなえと高穂が来て、一緒に温泉に入った夢だよ」「それは夢ではないよ。ここは温泉だよ」「え・・・」と、母はポカーンとしていたというのです。大笑いになりましたが、こうして、現実が遠いかなたに追いやられていくのでしょうか。
長野に帰りしばらくして、姪から連絡がありました。「温泉に行ったこと、忘れているのか、自分からは言わないよ。こっちから話すと、そんなこともあったかねえって・・」
娘が言いました。「認知症の人はなんでもすぐ忘れるけど、大切にされたとか優しくされた、そのうれしい感情は残るんだって。反対に拒否や冷たくされた人には、いやな感情が固執するみたい。だからね、みんな忘れてしまっても、今が楽しいって大事なんだよ」
今の瞬間を楽しくくらせることが、母にとって人生の最後をより良く送る条件なのだと、娘に教えてもらいました。
どのお年よりも、たとえどんなに認知症が進んでも、「今が楽しい」と思ってもらうためには、政治のあり方が問題です。
介護する側の暮らしもしっかり安定させ、後期高齢者の医療制度の4月からの実行は中止させるなど社会保障の充実も求めて、人の尊厳を大切にする政治への転換の展望が見えてきました。いまこそ根本から政治を変える時です。力を合わせましょう。