コラム―散歩道

小さな蛍と大きな世界

 

土京川の蛍

 私の住まいは長野市の北のはずれの地、今は開いたバイパスを中心にして住宅街が増え、大店舗が並ぶ一大街地となりました。
 そうはいっても、三登山や髻山のふもとでりんご畑にも囲まれ、ふくろうも鳴くまだまだ緑多き美しいところ、我家から歩いて5分のリンゴ園の中を流れるのが蛍の土京川です。
 「昔はいっぱいいた、たくさん捕まえてはススキで作ったかごに入れて遊んだものだ」との話を聞きますが、開発と同時にほたるは居場所を失ってきたのです。
 20年前、私は近所の子どもたちを集めて「あそびむし」クラブをやっていました。蛍の話を聞きつけこの子達と土京川に行ったときは「あ、いたいた!」しばらく待っているとまた「あ、また出た、ほら!」というくらいちょっぴりの平家ボタルでした。
 「これは大切に守らなければ」と重要に考えたのが共産党の後援会です。毎年の「上野蛍を観る会」を中心に、川掃除をするなどして蛍を守る運動をしてきました。

数百メートル以上にわたって光の乱舞

 先日の夜、原田市会議員から夫に電話、土京川からでした。夫が興奮して「蛍だ、すごいらしい!行こう!」
 そこにはこの20年間、一度だって見たこともない光景が広がっていました。数百メートルにわたって、光の乱舞です。息をのんで見ほれ、出たのは感嘆のため息です。「再生したんだねえ・・・」
 実は昨年はたった3、4匹しかいなかったのですから、衝撃は大変なものでした。
 次の週の土曜日、つまり3日前の恒例「蛍を見る会」には、150人以上の住民がやってきました。
 毎年、チラシを入れて前日と当日宣伝カーを回すだけで、集合場所の中央公園から土京川へ向かう途中で人がどんどん膨れてくるのです。
 「だまされたつもりできてみたが、すごいものだ」「昔に戻ったね」「共産党は本気で環境を守るためにがんばるね」と、だれの顔も地元誇らしさで一杯に見えました。
 昨年までは「少ない蛍だから、取ってはいけない」と禁止していたのに、今年は子どもたちが、そっと捕まえては両手で作った手の中の淡い点滅を楽しんでいました。
 「あ〜、よかったよ、自慢していいよなぁ、この蛍」と中心になってがんばってきた原田さんは、満面の笑顔です。

絶滅の危機を乗り越える

 蛍が絶滅するかもしれないという、危機的なときがありました。集中豪雨で川と川脇の斜面が崩壊しました。護岸改修工事が行なわれることになりましたが、3面コンクリートにするというのです。
 「これは大変!カワニナやタニシが住めなくなる、幼虫が土に上がれなくなる」と、「蛍を見る会」は長野県建設事務所に「蛍が生息できるような工事を」と陳情をしました。
 県も受け止めてくれて、上田市の蛍を守る会の事務局長さんに依頼して指導も受け、蛍を守るために一役買ってくれました。
 県職員は、工事から蛍を守るため、まだまだ水の冷たい初春に、「蛍を見る会」のメンバーと一緒になって川に入り、一時移動する作業もしてくれました。3面コンクリートはもちろん、変更になったわけです。
 その一件から、蛍はいっそう地域の宝になってきました。

蛍から人間と地球との共存を考える

 蛍の生息は、単に狭い地域の取り組みだけでは済まされない問題を含んでいます。私はスーッと線を引いては消える蛍のはかない光をみながら、人間も生きていけないところにまで来ている地球環境を深刻に考えていました。

 川はコンクリートで覆われ、産業廃棄物などの毒物が流れ込み汚染が激しく、カワニナも住めないなど生態系を壊しています。蛍の好む田んぼも、減反政策と就農者の老齢化で荒れ果てて水が張られることもなく、やがて大型店の敷地となって次々とコンクリートで固められています。だれもが苛立ちを覚えるようになりました。お金で食料を買いあさる日本、山も川も海もどれだけ多くのコンクリートをつぎ込めるかが「うつくしさ」の指標である日本に。
 温暖化の大元の原因は大企業の排出する二酸化炭素ですが、さらに緑の破壊でも大きな打撃を与えてきた責任は重い。

 今、世界中が深刻な食料不足、地球維持の生命線といえる温暖化の解決も待ったなしになってきています。人間と地球の共存を壊してきたのは産業革命以来の「もうけるための科学」の力でした。
 でも今、世界は乱暴だった反省の元に、「調和の取れた科学の発展」への転換の努力をはじめました。昨日から開催されている洞爺湖サミットは、地球と人間の共存にとって重大な意味のある会議です。
 第一日目の昨日は、アフリカの代表からの食糧問題解決を求める訴えがありました。私は、もう、G8だけで世界を動かすことは不可能、世界各国が対等に席についての話し合い、その力でこそ地球は救えると考えています。
 その方向への発展も期待する洞爺湖サミット、議長国の日本がどれだけ人類の危機を深刻に受け止めて責任ある指導力を発揮できるか、世界がみています。
                      (2008・7・8 記)