コラム―散歩道
枕もとの一冊の本
寝る前にほんの数ページ、本に目を通してから電気を消すのが私の「くせ」。
ここしばらく一番のお気に入りは、ノーベル賞を受賞した物理学者の小柴昌俊さんの「心に夢のタマゴを持とう」です。
たった150-ページほどの文庫本で、小柴先生が高校、小学校で子どもたちに話した内容と、母校の東大の卒業式での祝辞が納められています。
まったく気取らずに、大事な核心を「ひらがな」で伝えてくれる勇気の詰まった本です。
成績が悪かった話
小学生への話は、「私の孫どもは私を『じじ』と呼ぶんです。だからよかったら皆さんも「小柴のじじ」と呼んでください」で始まります。
高校生には「金子先生、この先生がとてもいい人だった。金子先生が代数を教えるとき私は幾何より代数が好きだ。金子先生がその次の年に幾何を教えると、代数より幾何がすきになった」と話し出し、もうとたんに聞き手(読み手)の心を捉えてしまうのです。
そして成績が悪かった話です。旧制の一高には、受験に2回失敗してようやく合格。入学時には成績優秀だったのですが、寮自治会の副委員長などやって講義にもろくに出ず、成績は下がる一方。落第点もあったが、担任がいい点をくれたので均してようやく落第しないですんだ。
生活苦だったので、先生が「奨学金の手続きを」とせっかく紹介してくれたが、「小柴!おまえがあんな悪い成績だとは俺はしらなかった」と「そのくらい成績が悪かった」そうです。
小柴先生が物理を選んだきっかけは、もうもうと湯煙の上がる寮の風呂の中での出来事でした。小柴先生に落第点をつけた先生と優秀な同級生の会話が聞こえました。「小柴は、どこへ行くかは知らないけど、物理にいけないことは確かだよ。インド哲学でもやるんじゃないか」
戦争が終わったら航空学科の人気がなくなり、物理学科に入るのが大変難しくなっていたそうなのです。
その話が悔しくて猛勉強して、やっと入ることができたが、ビリで卒業した。
悪いと言ってもエリート中のエリートが行く学校です。でも、この話、子どもたちに勇気を与えてくれるのではないかしら。
なぜ、成績の悪い話をするのか
東大生には証拠の成績表まで示します。なぜ「恥をしのんで」そうしたのか、ここが肝心です。小柴先生は「認識」を4つの分類に分けて専門的に説明をし、理工系の東大卒業生に次の言葉を送るのです。
「あなた方が今日まで勉強してきたのは『受動的主格分離型』の認識・・これから実社会に出て実務につく人も大学院に残って研究に従事する人もこれまでとまったく異なる事態、『能動的主格分離型』認識に直面する・・これまで成績がよかったからこれからも大丈夫、こは通用しない」
つまり、学校での授業は客観的事実を教えてくれたが、これからは学んだことを基礎に自分で切り開いてゆく力が求められるのだ、と言うことでしょうか。
子どもたちには「心にいくつかの夢のタマゴを持ちなさい」と。タマゴを持っていると、情報も整理でき、このタマゴはだめかな、こっちに変えようかなとも考えられる。挫折したときも「ああ、オレはだめだ」とあきらめずに「なんとかしたい」と思い続けると「案外、道がひらけることがあるもの」だと元気付けてくれるのです。
それが、宇宙の歴史と人の命の壮大さとが交差してのはなしだから、子どもたちは自分がオーラでくるまれているような気になるのではないでしょうか。小学生の感想文から気持ちが伝わってきます。
「わたしのタマゴはおみせやさんになることです。わたしはどんどんどりょくをしようとおもっています」
「私たちが水星や火星でなく地きゅうに生まれて幸運なんだよ、といわれたとき、びっくりしました」
「私はかんごふさんになりたいです。タマゴをもってがんばります」・・・
科学で大事なこと
小柴先生はアメリカのロチェスター大学で学位をとりましたが、アメリカで身についてよかったことを述べています。「たとえ偉い先生でも、間違っていたらそれが公の場であっても、誤りを指摘するのが科学するものの当然の態度。言われたほうも平気で受けて『そうだなあ』となる」
でも日本でもその態度で臨んだがために、小柴先生は原子核研究所にいられなくなりました。
「科学で一番大事なのは、それが本当かどうかということ。だから、偉いひとの話を聞いても、間違っていると思ったら手を上げて『それは間違っている』と平気で言わないといけないのです」
(拍手)と書いてありますが、子どもたちの拍手には、いろいろな思いがこけられていたことでしょう。
子どもたちに
子どもたちは今、小柴さんのメッセージとは正反対の大変な教育環境におかれています。でも、実際に子どもと接する時、私たちは小柴さんのような態度で子どもに向うことは出来ます。
明日すぐに、教育制度を変えることができなくても、直接子どもに自己肯定感のメッセージを送ることは出来る。これが、教育の救いの道、 問題は私たちが自分を鍛え、子どもに良きメッセージを送る仲間の連帯を、広く強くしてゆくことです。その連帯の力はやがて必ず、教育のあり方を変えてゆくことでしょう。
(2008年12月7日 記)