コラム―散歩道
15の春
高校は希望者全員入学を
いよいよ3月、どこかで春が・・。高校受験も終わりいよいよ入学式を待つ子たち、開放感一杯のことでしょう。
一方、進学をあきらめざるを得なかった子、また中退を余儀なくせざるを得ない子が増えていることに胸が痛み、貧困を作っている政治の理不尽さに怒り心頭です。
私の時代は、高度成長政策時代、中学卒業生は「金の卵」ともてはやされました。クラスは進学組みと就職組に分かれていて、友人の多くが集団就職で上京しました。
でも今は、ほとんどの子が進学を希望し、準義務化しています。お金の心配なく希望者全員入学できるように配慮するのが政治の当然の仕事になっています。
学習は子どもが主人公
次は 暉峻逸子さん著「豊かさとはなにか」に、紹介されていた話です。
父親の仕事で、かつての西ドイツに住んでいた家族のお子さん、テストは優秀なのにどうも成績が悪い。学校に聞きに言ったところ、「あなたのお子さんは確かに優秀なテスト結果です。しかし、ディスカッションやゼミナールのとき、自分の意見がいえない。勉強は自分の考えを育てるためにするものではありませんか?」と言われたそうです。「なるほど」です。
結果の点数と速さを競わせている日本の教育とは、ずいぶん違いますね。
フィンランドは競争のない教育に切り替えて、ピサという学力テストで世界一になりました。少人数クラスで、自分の方法で課題にアプローチできるように、個別指導が充実。教師の支援を得ながら自分で探ってゆき仲間と学び合うスタイルでしょうか。
日本の底の浅い、哲学がないお粗末な教育で、子どもたちを苦しめてはならないのです。競争で、人間教育はできません。
「センス・オブ・ワンダー」
子どもたちの勉強の態度を見て「このごろ、欲が出てきた」「欲がないからだめだ」などと言う言葉を聞きますが、俗に言う「欲」の真の意味は、私は、好奇心と感動だと思っています。
自然こそが、それを惜しみなく与える存在ではないでしょうか。
美しく、未知なもの、神秘的なものに目を見張りながら子どもたちは、きっと好奇心をふくらませていくことでしょう。
風の音、海鳴り、まばたく星、種からの小さな芽吹き・・・自然界の命のいとなみを発見する心のときめきは、人工の創造物では決して得られないものでしょう。
海洋学者の故レーチェル・カーソンは、この感性を育てることが、子どもたちに与える何より大切な贈り物であると言いました。
著「センス・オブ・ワンダー」の中でこう書いています。
「ものの名前を覚えてゆく価値は、どれほど楽しみながら覚えるかによって全く違ってくる。もし、名前を覚えることで終わるのならそれは意味がない。生命の不思議さにハッとする経験をしたことがなくても、立派なリストを作ることはできる」と。
大人もハッとする感性を保ち続け、子どもと共感していきたいものですね。
自分探しの15歳
15歳の春の受験は、私に言わせれば、残酷きわまりない制度です。
中学生は大人になるための人生最大の難関の時、子どもでもない、大人でもない、不思議な時代です。
性に目覚めて自分の体に悩み、初恋もおとずれる。時には自分がとてもすばらしい力があるように思えたり、落ち込んでみたり、思いっきり何かにぶつかって自分を試してみた衝動にも駆られたりします。
「自分はどんな人間なのか」と、いよいよ自分で自分を教育していく時がやってきたのです。大海に、たった一人で小舟を繰り出す船頭さんみたい、孤独なたたかいです。
支えてくれるのは信頼し合えるたくさんの仲間、ちょっと年上の先輩、そして自分の心を分かち合える「親友」が欲しくなります。お説教しないで、いつでも胸を貸してくれる、デンとした大人が頼りです。
「あの人のようになりたい」とのあこがれの人の存在が、どんなに胸を焦がすことか! アイドル歌手あこがれて、キャーキャーもします。
それにしても昨今「あの人のようにはなりたくない」モデルがなんと多いことでしょう。大人として恥じなければなりません。
こんな大切な時期に激しい受験競争があっては、安心して十分悩み、自分探しができないではありませんか。子どもたちは忘れ物をしてきてしまいます。
もうひとつ、文化、スポーツです。
思春期は、広い世界に視野が広がり、違いを深く学び、民族と歴史、生活様式や文化、芸術、宗教の違いを超えてともに生きている人間の値打ちを知ってゆくときです。
文化、芸術、スポーツの感動と共感が、違いを超える力になるのではないでしょうか。
また心の支えとして、孤独とたたかっているこの時代こそ必要なのだと思います。一人閉じこもり、音楽に涙するすがたも、思春期らしい。
受験勉強ではしかし、こうした教科がなんと軽視されていることでしょう! ここでも「センス・オブ・ワンダー」を奪ってしまうなんて。
15の春の受験は、本当に残酷な制度だと思います。受験のないゆるゆるした春にしたいと願いつつ、今日は桃の節句です。
(2009年3月3日 記)