コラム―散歩道

からす色の春

 新社会人の制服

 4月、新社会人の一群と出会うようになりました。それとすぐにわかるのは、どの男性も女性も黒っぽいリクルートスーツで身を固めているからです。
 春とはマッチしない、違和感のある暗い色だなあと思ってみています。それに、みんな判で押したように同じ格好なのも、違和感があります。名前もなぜ、あの疑獄事件を起こしたリクルートなのか!

 リクルートスーツはいつの頃から利用されるようになったのでしょうか。私の社会人としての出発は36年前、教員でしたが、誰も着ている人はいませんでした。だから、なおいっそう、なじめません。

 あるとき医療生協の総会にご挨拶のため出席したことがありましたが、会場2階の一角の黒い集団がぱっと目に入りました。
 隣にいた男性の来賓の方に、「なぜ、みんな同じ服なのでしょうね。決まりでもあるのですかね」と話しかけたら、返ってきた答えが「うちもそうですよ。決まりはありませんよ。でも、そういうものではないのですか」でした。

 リクルートスーツとは、フリー百科事典ウィキペディアによれば「就職活動に着用することと着こなしを目的としたスーツ」であって、スーツの種類をさしているわけではないのだそうです。新社会人はそのまましばらくはそれを着用するのですね。
これが面接官に好感を持ってもらう服装なのでしょうか。清楚な感じはいいけれど、個性埋没したようにみんな同じでなくたっていいでしょうに。私が社長なら、もしかして反発して違った服装をしてきた人がいたら、その人に興味を持つかもしれないなと思います。

 クリスマスのケーキ、バレンタインデーのチョコと同じように企業の戦略なのでしょうね。私が怖いなと思うのは、同じものでないと安心できないと思い込まされる感覚です。ファッションでも、もっと「私は私」と主張してもいいのに、どうせ、すぐ着なくなるスーツなら、長く利用できるものにしてもいいのに、と思いながら、私も娘の要求に応えてリクルートスーツを買わされました。

中学、高校の制服

 学生も制服新調の季節です。「お金がかかりますね」と話したら「でも、そのほうがかからない。自由だといろいろ買わされる」との新入生のお母さん。
 制服のない学校も大分増えてきました。娘の通った高校は自由でした。しかし、制服をどうするか、まだまだ論議のあるところです。私立学校の中には、有名なデザイナーのデザインで、制服を「売り」にしている学校もあります。
 
 制服論争では、昔、東京の「S高校」の実践記録を読んだことがあります。生徒自治会が「制服をなくして」との要求を取上げ、学校やPTAを巻き込んで大きな運動にしていった記録です。
 廃止派の理由も、制服派の理由も、徹底的に論議されました。「この制服を着て電車に乗るのは恥ずかしい」「雨の日はうれしい。コートで制服が見えないから」「制服を脱いだら、服装が乱れるのでは」・・・・・この論議は1年で終わらず、役員から役員へと引き継がれ、数年かけて納得のいくまで話し合い、そして廃止を決定したのでした。

 制服に対する劣等感は学校への劣等感、そのまま自己否定につながるものです。ただ廃止しても根本的な問題は解決しない。制服を脱いだら、自分にふさわしいファッションを自己管理することができるのか・・・・これも気持の安定や自分に自信をもつことに深く関係します。
 生徒たちの粘り強さと共に、民主主義がすわっている教師集団でなければ、このような話し合いを保証し指導できるものではありません。教育の原点をみる実践でした。

私の制服

 私の「制服」は真っ赤です。2000年の選挙のときから、ズーッと赤い服でたたかってきました。マスコミから「何かわけがあるんですか。戦闘服と決めているのですか」との質問を受けたこともあります。
 真相は、こうです。それまでは病院で赤ちゃん、子ども相手の仕事をしていましたから、ろくにスーツを持っていませんでした。新調することになったとき、「色を決めるとコーディネートが楽だし、みんなにも覚えてもらえるんじゃないの。中野さんは赤がいい」との女性後援会員の助言があって、それを受け入れたのです。赤は好きな色だったし。
 赤い服を着て10年間、もはや脱げなくなりました。だって「どうして今日は赤ではないの」「中野さんは赤でなくっちゃ」と言われるまで、赤い服は見事に私のトレードマークになってしまったのです。そして不思議と、赤い服を着ると、気持がキリッとしまるのです。
 選挙もいよいよ先が見えてきました。私の心も真っ赤に燃えています。

                       (2009年4月6日  記)