コラム―散歩道
つよきもの
たたかいの方針を転換
また庭の草とのたたかいが始まりました。
毎年、ガーッと総なめて集中的に取りまくり、さっぱりしたところでしばらく放置、梅雨や夏の日差しでまた伸びたら再びがーっと・・・・炎天下でも汗だくで「休みの今日しかない!」と必死のたたかい、夕暮れには力尽き、ああああ・・・ヘロヘロ。これを夏が終わるまで、2回くらいやりました。
毎日少しずつやればいいとわかっていてできないのが、何事も世の常です。
ところが、今年は毎日やっているのです! 実は、方針を転換せざるをえない庭の状況になっていたからです。庭中が「ヤブガラシ」の巣窟になっていました。
にっくきヤブガラシ
ヤブガラシは、多年生の植物で名前の通りの草なのです。繁殖力が「藪をも枯らす」ほど旺盛なので、この名前がついています。
別名「貧乏葛」、庭の手入れどころではない貧乏人の家にはびこる草ということから、ついた名前です。
花は咲きますが、実のなるものとならないものと種類があります。大概は実より地下茎で増えてゆきますが、その地下茎が、なんと1年間に5メートルも6メートルも延びるとのこと、ホントかな?
芽を出すと、アスパラが伸びるような勢いでぐんぐん成長し、見初めた樹木に絡んでがんじがらめにし、日照権を奪い、ついには枯らしてしまうなんて、まるで「道成寺」で釣り鐘に巻きつく蛇になった清姫みたいです。
昨年まで、ツタを取りのぞく仕事がすごかった。ツルを引っ張ってたぐり寄せると、枝も大きくしなります。一本かたづけるたび、柿の木なんぞ、「せいせいしたー!」とばかりに、大空にパーッと枝を跳ね上げるのでした。
今年最初の「ガーッ」との草取りで気がついたことは、ヤブガラシの芽の多いことです。ちょうど、帯状疱疹のように、地下茎にそってピョコピョコ出ているではありませんか!
マメに退治してこなかったので、縦横無尽に地下茎が這ってしまったのです。「貧乏葛」とは、まさに我が家のための呼び名だワイ!
目をさらにして芽をさがす
「これはえらいことだ。にっくきはヤブガラシ」と、毎朝、庭を一回りして、目をさらのようにして芽を探しては、引っこ抜き始めました。
「よし、今日は全滅!」しかし、翌日にはまたちゃんと顔を出し「ヘン!今度はこっちだい」とからかわれているみたい。「見つけたぞ!とことん抜いてやる!」と躍起になっている自分がおかしい。
こんな訳で、朝になるとヤブガラシと「対話」するのが習慣になりました。
ついでに、まわりの草も取ることになるので、期せずして首尾よく方針転換できたというわけです。
しかし、こうなったヤブガシラはなかなか絶えないとの話です。「芽を摘み続ければ弱るはず」この信念でがんばる。継続は力なり。
憎くもかわいげのあるヤブガラシ
宿敵ヤブガラシ、でも彼にはなかなかいいところがあるのです。
夏に、直径5ミリほどのかわいい花を咲かせます。目を引くオレンジ色は緑色の花びらが散ったあとの花床です。
アゲハチョウや蜂、カナブンが寄ってきて、密を吸っているのをよく見かけました。昆虫にとってここは「蜜星レストラン」なのです。小花はまるでお皿のように平たくまとまってお客を迎えています。シェフの心憎いおもてなしの工夫に感心します。
私が躍起になって「破壊」している根っこは、「烏れん苺」とよばれる生薬となり利尿や鎮痛剤、葉っぱの汁は、腫れや毒虫にさされたときに塗るといいと聞きました。
私の暮らしにとってはにっくき相手ですが、価値ある存在でもあるのです。
へくそかづらの場合
ヤブガシラには及ばないが、へくそかずらも結構強い。こちらは、私の大事なテッセンの棚に同居しているから始末が悪い。へくそかづらを始末しようとして、テッセンを損ねてしまうことがままあり、へくそは少し憎きものです。
実は漢字では「屁糞葛」と書きます。由来は、葉と花の悪臭です。すでに万葉の頃から呼ばれておりました。
中心がぽっと赤い小さな筒状の白い愛らしい花なのに、「屁糞」ではかわいそう。別名「早乙女花」ともいうのですが、こちらは通常誰も使わないのは、またなぜか。名前の選択も許されず万葉の頃からずっと耐えているなんて、繁殖力の強さにも増して、なんとけなげで強いことと思ってしまいます。
ドングリの実生
自宅の前の公園のドングリの木が間伐されました。我が家はドングリの落ち葉の吹きだまりですが、昨年の秋は緩和されました。今日、久々に公園をじっくり見たら、なんと一面びっしり、ドングリの実生の絨毯ではありませんか。間伐で陽をみた実が、生命を吹き出したのです。
自然界の草木はつよい、つよい。私にとって迷惑であるが、生命力にあふれている姿は、とてもいい。
(2009年6月1日 記)