コラム―散歩道

子どもたちに伝えたいこと

やっと母の最後の願いを!

 大変長らく待たされましたが、はいよいよ総選挙です。投票日まで1ヶ月を切りました。
やっと母との温泉旅行の計画をたてる見通しができました。
 母はじき90才、故郷の介護施設で暮らしています。ほとんど寝たきりで記憶もすぐ消えてしまう母ですが、「7人の孫と会いたい」というのです。母にとってこの世で一番いとおしく大事なものは孫たちなのです。苦労し続けてきた母のささやかな願い、だから「選挙が終わったらみんなで温泉に行こう」と約束してきました。
この秋にはぜひ、母の願いをかなえたいと思っています。もう、車で移動する体力もなくなっているので、おそらくこれが最後になるかもしれません。
父が他界したのは私が36歳、子育てで無我夢中の時。親孝行らしいことは何一つしてあげられなかったし、「あの時、あんな冷たいことを言わなければ良かった」など思い出しては、今だに後悔で一杯です。だから、母の願いはなんとかかなえてあげたい、弟夫婦に母の世話を任せっきりにしている私にできる、せめてものことだと思っています。

おじい、おばあを大事にしない社会に未来はない

 自民党・公明党のお年寄りをいじめの政治は、世界に類をみません。これは、子どもたちの教育にとって最悪のことです。

 どんな子に育てたいか、どの親もそれぞれの期待をかけて慈しみます。しかし、誰もの共通の願いは、「やさしい子になってほしい」ということではないでしょうか。
 「子どもたちよ、野の花のように美しく育て、平和な未来を築くために」と歌った荒木栄作曲の組曲「子どもを守る歌」にはこんな歌詞が入っています。

 「ねえ、みんな、この中に一人でも、訳もわからず怒鳴られたり笑われたり、人をけ落として自分だけがいい子になろうとしたら、どんなにどんなに悲しいことだろう・・」

 歌うときはいつも、「これがほんとのやさしさ、ヒューマニズムだよね」と思います。ヒューマニズム、言い換えれば「人権尊重」と「民主主義」、これこそ、未来の主権者となる子どもたちに、私たちが伝えなければならない一番大切なことです。その感性の育ちは、毎日の生活の中で学ぶものです。
 身近なお年寄りや障害者など弱い立場の方が大事にされている、これがあたりまえなのだと実感することがいかに大事か、強調しすぎることはないと思います。
特に「おじい」「おばあ」の人生は、戦争と貧しさをくぐり抜け今の日本を作ってくれた、どなたもが大変な苦労人、そして自分たちを目に入れても痛くないほどかわいがってくれた人、その人を大事にすることは教育の原点です。

国あげて大事にしなければ・・・

 お年寄りを大事にすることは、個人の責任に押しつけてすむものではありません。誰もが、育ててくれた親、それにつながるお年寄りのみなさんに感謝し尊敬し、大事にしたいと思っているのです。でも「優しい人」でいるには限界があります。

 父親が派遣切りにあって家の収入がグンと減ったのに、子どもは進学。「悪いけど、姑にかけるお金はないのです。寝たきりになっても仕方がない、リハビリはやめてもらいます」というお嫁さんを誰が責められるでしょうか。

 月3万にならない最低老齢年金のお年寄りが、それ以上高い介護保険の利用料6万円という理不尽さ。子どもの世話にならざるをえないお年寄りの気持ち、やっと子育てが終わったのに、子育てと同じようにお金がかかり、働きながらの介護に悲鳴を上げる家族の気持ち・・・どちらも切ない。

 老々介護の地獄、介護疲れで、悲惨な事件も起きています。

 国の政治が、人と人とをつなぐ心を壊してしまうのです。老後の問題はいずれ自分のこと、将来不安で、気持ちがふさいでしまいます。
年寄りいじめの自民党・公明党にはきれいさっぱりとお引き取り願いましょう。

たたかってこそ

 こんな中で育つ子どもたちもまた、いじめられています。障がい者も若者も、農家も中小業者も労働者も、悪政を企む政治家と一部の金持ち以外はみんないじめられています。
でも今、みんなが一丸となって立ち上がっています。高校生も「授業料高い!」と立ち上がったニュースには、驚きました。
 「子どもの権利条約」では子どもには意見表明権が保証されています。でも、幼い子は言うすべもない、投票権もない。その場合は、子どもの思いを汲みとって、大人が代弁することになっています。

 私は子どもたちの代弁者として、理不尽な政治に真正面から立ち向かい、たたかえば道が開けることを、子どもたちに目の前で見てもらいたい。輝かしい歴史の記録として残したい。
 そして、人権尊重と民主主義はたたかってこそ築き上げてゆけるものなのだということを、この選挙を通して子どもたちに伝えたい、その思いをこめて選挙勝利のために、力を尽くします。

                   (2009年8月3日 記)