コラム―散歩道

沖縄は晴天なり

 今月24日投票の名護市長選挙、普天間基地移転問題が最大の争点となっています。安保条約にも鳩山政権にも大きな影響を及ぼす選挙、皆さんから寄せられた新基地建設反対を掲げる稲嶺陣営へのカンパを届けるため、石坂県議と二人で3・4日、沖縄へ飛びました。840円の送金料では届かない、長野県民の平和への熱い連帯を届けるために。 陣営の決起集会で連帯の御挨拶、固い握手をしました。

宝の海

 辺野古の海の座り込みテントを訪れました。テントの前には「座り込み2087日」と書かれた看板が立っていました。
 「幅の広い団体が取り組んでいます。交代で座りこみ。国土交通省や関係者がやってくるのが見えると、200人くらい飛び出して座り込んで道路をふさいだ」と、杭一本打たせなかったたたかいの歴史を語ってくれたのは、党名護市会議員の具志堅徹さん。
 目の前に広がる美しい海にv字型滑走路が作られると、水平線がまったく見えなくなってしまうことが良くわかった。
 「ここは宝の海、全国のカンパで作られた『平和丸』で新しい生き物が沢山発見されています」とヘリ基地反対協議会会長の大西さんが語ってくれました。
 ジュゴンの海の破壊につながる基地建設は、アメリカの自然保護の法律にも違反しており、アメリカでも問題になっているのです。
 その上普天間基地の移転にとどまらず、拡大強化するのが目的、辺野古には弾薬庫と射撃場がそばにあるし、軍港も作れる格好の場所。ヘリ部隊をグアム、ハワイと沖縄を一体として動かす強大な構想に組み込まれている。アメリカは離したくないわけだが、すき放題させてなるものか。
 この海をみて破壊することに平気な人は、人間としての感性が欠如していると言っていいでしょう。

辺野古のおじい、おばあ

 説明を聞いているうちに、地元のおじい、おばあが連れ立ってやってきました。「今日はお正月だからみんな集まって、おいしいもの食べるんだよ。地元のおじい、おばあは、最初から座り込みをしてきた人たちさ」と、直径1メートルはある大鍋の豚汁をかき混ぜながらおばさんが話してくれました。
 「共産党の人は美しい人が多いね。ここも美しいか」と胸に手を置いて聞きました。「ここは自分で美しくするものだからね」とおじい。
 「鳩山はどうする気なのかねえ。沖縄県民に矢を向けることをすれば命取りさ」「名護の市長選挙が勝てば、状況は変わるよ」「北沢防衛大臣を出している長野の中野さんには踏ん張ってもらわんといけない」との話を聞きながら、おじい、おばあと一緒に熱々の豚汁を一緒にいただきました。
 おじい、おばあの顔は、地獄の地上戦、本土復帰、基地闘争・・・粘り強いたたかいが深く刻まれており、強さと優しさが伝わってきました。

嘉手納、普天間基地

 名護市から嘉手納基地、普天間基地へと向いました。実弾演習の流れ玉が、島を縦断して東海岸から西海岸へ貫通するときのあるという。山火事は始終おきて、標的になっている山は、赤肌が見え木もすっかりなくなっている姿がありました。

 嘉手納基地は十数年前に来たときは「安保の丘」から眺めたが、嘉手納町が作った「道の駅」の展望台から全貌が見えるようになっていました。保守の立場の嘉手納町長さんも、あまりにもひどい負担強化に「安保の是非に関する新た場議論を」との声を出すほど、基地問題は今、根本的な安保条約の論議にまで発展しつつあります。

 普天間では実際に地図と比べて眺めたら、ヘリコプターが墜落した国際大学のほか、基地と隣り合わせの小、中学校が十数校もあることが分かりました。子どもたちには難聴が多いといいます。「低周波が問題らしいのです。ヘリや飛行機の発進準備の低周波の音は、5キロも先まで響きます。因果関係はまだはっきりしていませんが、低体重出産も多いのです」とは案内してくださった安里さん、赤嶺衆議院議員の地元秘書の方です。
 無類理略奪された土地の地代を地主に払っているのは、アメリカではない、日本政府。基地は宜野湾市の土地の4分の1を占めています。

 普天間で働く基地労働者は200人、沖縄全体でも2000人いるかどうかです。「基地で食べている人もいる」と言うが、この広大な土地を返させ思いやり予算を止めれば、雇用を保証するのは難しくはないことだと思いました。
 「経済が苦しくなる」と言うが、沖縄北部に広がっている基地の北部振興策として今まで降りてきた800億円は、地域に降りずゼネコンの餌食になっています。沖縄は全国トップの就業難、景気も悪い。
 名護市の場合、IT産業団地を造成し、箱物を作ってあげたほか3年以上家賃は無料にして誘致したが、不況。名護市への法人税は少なく、維持管理費が負担になっているとのことでした。

 基地は、人間と自然環境の命の営みを奪うばかり。
この日の沖縄は晴天なり! 全国の連帯の力で「命ドゥ宝」のたたかいを大きくおこして、米軍機が飛ばない日本の青空を必ず迎えたい。
 飛行機の窓から見た、珊瑚礁の海の青さを目に焼き付けながら帰路につきました。

              (2010年1月6日  記)