コラム―散歩道
20日間のキャラバン終えて
憲法記念日に出発
5月3日から23日までかけた、20日間の全県キャラバンが終わりました。
キャラバンとは「隊商」のこと。昔、シルクロードなどをわたる時、盗賊の略奪から商品や身を守るために、行動費を共同出資して集団で旅した隊商をキャラバンと呼びました。 隊長は偉大なリーダー、水場や宿泊などの決定権を持ち、隊員はみんな決まりを守って行動しました。
私は年中全県をまわっていますが、位置づけを明確にして体制も組まれるキャラバンは特別、何度やってもその都度新鮮です。
我らのキャラバンは「政策」を訴え「票」をいただくという、目に見えない「物物交換」かな。総本部は県の選挙対策本部ですが、隊長は地区委員会、行動や宿の手配まで計画を組んでくれます。
憲法記念日の3日、「憲法九条を守ろう! 沖縄の普天間基地は無条件撤去を!」と長野駅前を元気よく出発!! 全県をくまなく歩きました。
北は飯山、南は愛知県境の根羽村、木曽は南木曾まで足を伸ばし、東は南北相木村まで。
南相木村では「不戦の像」と再会し、あらためて平和を堅く誓いました。伊那谷を横断、箕輪町では街角演説会に50人の参加、80才の仲間がお誘いのため、部落150軒を歩いてくださったことに感激しました。
南木曾町では伊藤町会議員が自らマイクをにぎり「みなさーん、伊藤です。今日はポスターでおなじみの中野さんがきましたー」と宣伝カーから呼び込みです。
どこに行っても仲間が待っている、何と心強いこと。キャラバンは、草の根で頑張る共産党だからこそできること、誇りに思います。
御柱祭
ちょうど今年は御柱の年、生まれて初めて行きました。共産党のお宿を拠点にして、沢山の方と手がしびれるほど握手して、声がかれるほど「中野でーす。共産党でーす」と挨拶し、この日に配ったはがき大のリーフは、なんと1500枚!若者が「本物?写真に入って!」の注文に、ウキウキしました。一日おわったら、もうヘロヘロ。
県歯科医師会理事会でご挨拶
演説だけでなく、つどいあり、懇談ありと多様な計画がされました。県歯科医師会の理事会にご挨拶にお呼ばれして、石坂県議とうかがいました。
滝沢会長は「かわえさんも私の診療所へきてくれて、そのことが赤旗にまでのって・・先生は共産党になったのかと患者さんに言われました。政策で一致するところはご一緒に」と気さくで暖かい受け入れ、そして帰るときには、役員の方や事務方の皆さんから暖かい拍手で送られて、感激、共同の輪が確実に広がっていることを実感しました。1ヶ月前に行われた懇談の席ではなんと、会長と合唱をする場面もあったのです。仲良きことは美しい。
「雨にも負けず」意気揚々!
22日の長野市での市田書記長を招いての演説会も2600人で大成功、キャラバンも最終日の23日を迎えました。なんと、ジャンジャンの雨です。靴の中までグッチャリ、傘も風でおちょこになりそう。この日は塩尻から岡谷へ、下諏訪から諏訪市、原村のコースでした。
「昨日大きな演説会が終わったばかり、その上この雨。街角演説会は寂しいことだろう・・」と覚悟していきました。ところが、ところが!どこに行っても20人から50人の方が雨の中、濡れながら待っていてくださった。腰を曲げたおばあちゃんもきてくださっていました。涙が出ました。
特に女性後援会のがんばりには、驚きました。おそろいのTシャツを着てずらりと宣伝カーの横に並んで、夕べ頑張って書いたのであろうマイ原稿で、応援弁士をやってくださったのです。
「私は農業をやっています。鳥獣被害で一生懸命作ったモロコシがやられてしまうのに、民主党は事業仕分けで予算を削った。農家のことを分かっていません」
「私は90才の介護をしている。しんどい」と介護のご苦労や、後期高齢者医療への怒りも訴えられました。
苦労が深く刻まれた手で私の手を握り「身体に気をつけて、何としても勝ってください。頼みますよ」と涙ぐまれたおばあちゃん、私はまたまた泣けました。雨の中、涙なのか、雨つぶなのか、分からなくて良かった。
キャラバン最終日は選挙戦を予想させる荒れた天気、でも「雨にも負けず」の精神でまさに「有終の美」を飾った女性軍、勝利めざしてやり抜こうと意気揚々でした。
いよいよです!
さて、いよいよです。
私の名前は、実は漢字で田んぼの「早苗」、「いい米に育てるから、人の役に立つように」との父母の言葉。私は10年間、皆さんに手塩にかけて育てていただきました。「裏切らない政治」のために、収穫をしてください。私、一世一代のたたかいをします。
(2010年5月28日 記)