コラム―散歩道
第3の人生
母の施設で思うこと
遠く離れて施設にいる母に、私は親孝行らしきことを何もできないでいます。1年にせいぜい1回か2回、温泉に連れ出すのが精一杯で、弟夫婦にまかせっきりです。
弟夫婦の家庭は、母が入所することで何とか成り立っています。弟夫婦も施設の職員も実によく母の世話をしてくれ、感謝こそすれ何も言うことはありません。
しかし私は、施設にいる母を見ると切なくてたまらなくなるのです。率直に言って私が「人生の最後をこのような場所で暮らしたくはない」と思うからです。
第一に、狭い空間にベッドと着替え入れのケースがひとつ、洗面用具一式が母の持ち物のすべてです。慣れ親しんだ家具もお茶道具も何もない。食事は誤飲を避けた流動食で、食べたい時に食べたいものを食べることができない。散歩も行きたいときに自由にいけない。要するに、自分の思うようにならないことだらけなのです。
足りない老険施設
特別養護老人施設の不足ははなはだしく、1999年には11万人だった待機者が今では44万になってしまいました。特養ホームの増設は待ったなしの切実な願いになっています。しかし今の特養のありかたは、自宅でどうしても介護ができない家族の要求には応えているけれど、高齢者のしあわせの観点には立っているのでしょうか。
クオリティ・オブ・ライフ
「デンマークの高齢者が世界一しあわせなわけ」(大月書店)によると、デンマークでは、日本の特養に当たる施設の新建設は1988年に法律で禁止されました。現在建てている高齢者住宅は、ベッドルームに居間の二間、小さなキッチンもついており、共同施設の入れると一人60から70uの広さが保障されています。収入の少ない人には行政が適切な手当てをしますから、入居の際、お金の心配はまったくないそうです。もちろん「ケアが必要」などの入居の条件はありますが。
デンマークの「ケア」の考え方は3つの原則に基づいています。歳を取るということは「その前の人生の延長」だから「日常生活のありかたは自分で決め」「可能な範囲で残された能力を使う」との「継続性」「自己決定」「残存能力の活用」がその3つです。
いわゆる「特養」ではこの3原則を反映できず、入居者を消極的にするし将来的にも誰も希望しないだろうとの国民の要求が大きくなり、改善されました。
至れり尽くせりが「親切」なのではなく、できない部分をケアすることが人権を大切にするとの考えが根本にあるのですね。自宅で生活する人へのケアもこの考えが貫かれていて、さまざまなサービスを安心して受けることができます。
しかも、高齢者住宅入居の待機期間は2ヶ月と、これも法律で決められています。だから、どうしても入居ができず病院においてもらうときは、行政は病院に対して、一日3万4千円支払う義務が生じます。
デンマークには「老後」「余生」との言葉はなく、定年退職後の生活を「第3の人生」として、今までできなかったことをし、いかにエンジョイし生き生きと暮らすかと楽しみに待っているといいます。
「クオリティライフ」つまり「自分で人生を決める」は、国民の価値観になっているのですね。
デンマークの高齢者は子どもとの同居には「ノーサンキュー」です。遠慮ではなく、一人でも暮らしていける条件があるので、お互いの自由を大事にしているのです。同居の家庭は、特別でない限りほとんど皆無です。日本人のような感覚はまったくありません。
かといって家族関係が冷たいかと言うと、そうではありません。家族を大変大事にし、かなり高い密度で交流しています。
国民の価値観の違いはともかくとして、母がそんな環境で暮らせていたら、今とちがった人生があったことでしょう。
私の親孝行
もちろん、デンマークの税金は高い。39パーセントも取られます。でも医療費も無料、住宅も心配ないのです。中堅層にいるという著者の義母の会計簿によると、厚生年金は300万円ほど、さまざまな加付金を加えると、年収500万円ほどです!!孫のプレゼントに困る高齢者はいないとのことです。
この一面だけでデンマークの政治をすべて評価するつもりはありません。でも、高齢者も障がい者もこどもも大事にされていることは、事実です。お粗末な日本では、デンマークの高齢者のような生活ができるのは、一握りの恵まれた人だけです。
私のできる親孝行は、「第3の人生」を幸せに暮らせる社会をつくることしかないかなあ・・・と思っていますが、90歳の母にはもう間に合いません。
でも「こんな社会にしたいね」と皆さんと語り合いながら、「第1の人生」も「第2の人生」も「第3の人生」も、自分の力を発揮して生きることができる社会を一日も早く作りたいものだと願っています。新しい政治は、そんなに遠くないところに見えてきました。がんばればね。私もそろそろ「第3の人生」です。
(2011年 2月7日 記)