ベトナムからのたより―平和と友好の旅

2011年9月20日  二日目  ホーチミン市 

水上劇に感動

水上劇 2日目の今日は、ホーチミン市の見学だった。しかし、一番のメインだった「戦争博物館」が計画停電のため閉鎖されていたのにはがっかりした。「計画停電は時々あります。仕方ない」
 華僑の住んでいるチャイナタウンのチョロン地区や大統領官邸、郵便局など見学し、夜は有名な「水上人形劇」を鑑賞したが、これは、本当にすばらしく、小1時間ほどの劇だったが、人形遣いの巧みさにすっかり目も心も奪われてしまった。水に浸かってどうやって人形を操っているのか、不思議でならなかった。しかも、人形は非常に重く8キロもあるものもあるという。
もう、400年以上の歴史があるこの劇は、もともとは農民の娯楽で始まったものが、宮廷に見せる芸術にまで発展したのだという。言葉はまったくわからなくてもあらすじは良く分かり、明るくたくましく楽天的な農民の働きぶりと暮らしぶりがよく伝わってきた。とても感激した。

屈託のないベトナムの人

フランス風の郵便局 さて、大統領官邸も郵便局もフランスに統治されていた時代の建物で、ヨーロッパ風の雰囲気が漂っており美しい。郵便局は当時からずっと200年もそのまま郵便局で、大変広くて開放的な仕事場になっていた。
大統領官邸はベトナム開放軍が無血入場してベトナムが独立を勝ち取った記念すべき場所で、官邸の庭にはそのときに入場した戦車が展示してあり観光客が記念写真を撮っていた。
 通訳の雪さんは「ドイモイ前は郵便局の公務員も威張っていたが、このごろは態度が良くなった」と、昨日に続き公務員の態度の悪さをして訴えていていた。確かに、空港でも見学場所でも、中は愛想がない人もいて、愛想が悪いだけならまだしも、厳しい目つきを動かすだけで命令調に「あっちだ」と指図する乱暴な場面にも出会ったので、雪さんの言葉は納得したが、「この頃やっと、お客さんに対する態度の勉強が始まったのです」とのことだった。
似顔絵を描いた店の店員にかこまれてた夫でも、市場でもお店で働く若い人たちは屈託がなく人懐こかった。夫は、レストランでもお店でも、動物園の入り口の係りの人まで、出会えた人は誰でもどこでもどんどんと似顔絵を描きまくっていたが、お店では仲間が集まって似顔絵を見せ合って「キャーキャー」と大喜びし、「私も描いてください」「私も!」と仕事中にもかかわらず行列だ。日本だったらありえない光景とベトナム人の率直さとおおらかさを感じた。

「ベトナムには残業はない」

フエの教会まえ 夫と 移動の際の交通事情はすざましものである。夕刻は、8車線の広い道でも「ここは車線が一方通行か?」と思ってしまうほど、帰宅のバイクが道に隙間がないほど乱れて流れている。
 雪さんに聞いたら「ベトナムでは残業はない。残業は禁止。みんな早く帰ります」というのだ。だから、4時過ぎは華々しいラッシュになるのだ。ただし始業は7時半と早い。暑いせいか?
 「日本は残業が多くて帰れない」というと「それではマネーはいいね」「いいえサービス残業でただ働きが多い。家族で食事を取ることも大変難しい家庭が多い」「働いたのに何でマネーがない? 残業はいけないよ。ベトナムでは残業は違反です。夕方は子どもと奥さんとみんな一緒にご飯を食べる。時々悪いだんなさんは夜お酒のみに行く」と驚いていた。
空港で 雪さんが見学場所で出会った仲間の通約の人に「中野ファミリーは名古屋から来た(空港)」といったら彼は「世界のトヨタの名古屋か」という。「そう、世界のトヨタは、日本では労働者をいじめている代表の大企業だ」というと「いじめ?」と驚くのである。「ちゃんと雇わず、自分だけもうけるため、いつでもやめさせられるように都合よく使っている。給料も安い。日本では、ワーキングプアと言って働いても貧乏な人が増えています」との私の言葉を聞いて、「資本主意はいい」と言っていた雪さんが日本の実態をどう受け止めたか。目を丸くしていた。
 「でも、ベトナムは自由がない。政府にいいたいことは一杯ある。不満はいっぱいあるが、言えない。あなたの名刺に書いてある『政治を変えましょう』なんて言ったら、これ」と、両手首でお縄をいただく格好をし「だからみんな陰で文句を言う」と言っていた。言論の統制があるのか。雪さんだけでなく、運転手をしてくれた何人かの方も、政府への批判は厳しいものがあった。

学校の送迎は親の責任

 学校前を通ったら、子どもたちが校門前にぎっちりとたむろして座ったりおしゃべりしたりしている。何箇所でもそういう光景を目にした。といっても、日本の学校の校門のイメージとはまったく違う。学校の校門は、バイクがビュンビュン通りクラクションがなり続ける街のど真ん中の道路沿いにあるのだ。
 「何をしているの?」と聞けば「親の迎えを待っているの」とのことだった。小学生も中学生も、18歳以下でバイクの免許を取れない大学生まで、学校は親の送迎があたりまえだという。
 「ベトナムでは学校の送迎は親の責任です。ママ、パパは大変。年間に1万人以上、事故で亡くなっているから仕方ない」そうだ。
 時には子どもを5人も乗せているバイクにもであった。運転手を入れて6人だ。「危ない。違反ではないの?」「そうです。違反です。でも今は昼休みで警官はいない。大丈夫、捕まらない」だそうだ。共働きでは迎えにいけないこともある。「だからお迎えの商売もあって、私も利用した」そうだ。頼んでも、果たして安心できるのかどうか。
 道を横断するのは命がけであった。信号がないところが多い。車とバイクの間を縫うようにして渡るのであるから、命が縮んだ。雪さんのアドヴァイスは「走ったら危ない。ゆっくり歩く」だった。

賄賂!!

 大事件があった。私たちの車が警察に呼び止められたのだ。わけは私たちが見学している間、運転手さんは近くの路上で待っていたが、そこが駐車違反だというのだった。運転手のキーンさんは交渉に行った。雪さん直ぐに「今度の賄賂はいくらかな」と言う。
 もともと駐車場がほとんどないので困るのだが、警察に捕まることは、賄賂をとられることなんだと言う。どういうことか、程なくわかった。
 今回の罰金は20万ドンだった。ところが、「ほら見て。領収証は駐車違反ではなくて携帯電話をしながらバイクに乗った違反で5万ドンの罰金になっているでしょう?担当者がごまかしてうその領収書を書いて残りの15万ドンは自分の懐です。こんな汚職はいつも!!交通違反で捕まったら賄賂です。渡さないと免許を剥奪される。だから社会主義はいやなの!!」と激しかった。
 一番の見学場所が閉鎖だったので娘の希望で「動物園に行こう」と言うことになった。ベトナムまで来て動物園もないかなとも思ったが。
 ところが、大変驚いたことにはゾウもトラもみんなやせて細り、皮膚がしわしわだったこと。「ねえ、なぜやせているの?えさの予算が足りないの?」と聞けば雪さんいわく「いいえ、動物園の係りがお金をくすねているためです」というのだ。これはどこまで真実かはわからないが、雪さんは動物のやせている原因も、特権階級にある官僚や汚職に対しての厳しい批判に向けていた。それは「社会主義批判」にも直結していた。しかも、共産党員は出世できるという仕組み?は、賛同できないものがあるらしい。
雪さんの話を鵜呑みにはできないが、庶民の暮らしの貧しさが根底にあるのだと思うし、こうした汚職腐敗の一掃は中国でも韓国でも課題になっている。
 私がベトナムで一番驚いたことは、社会主義をめざす国としてまっ先に手をつけることは、医療、福祉、教育の分野で国民の安心を得ることだと思うのだが、ベトナムでは、まだまだそうはなっていなかった。医療、福祉、教育の対策の遅れで苦しんでいる。
 貧困政策では確実に成果も上げ貧困層は減っていているし、最低賃金も月収6000円台までアップしたと物の本で読んできたが、ストリートチルドレンも増えているし、貧困層がまだ多いのも確かだ。ドイモイによって経済の発展を遂げつつあるというものの、まだまだ矛盾だらけだ。
 社会主義へ向かった国作りはジグザグしたものであり、国民の合意を求める作業も生半可ではないと実感した。一方、雪さんがあこがれる?資本主義では、たとえば日本では、政治家と財界と官僚の国家ぐるみのあくどい汚職がまかり通っているし、副島原発問題ではその全貌が、共産党機関紙の「赤旗」で国民の前にあきらかにされ、国民の政府への信頼は急速に失われている。自殺者も毎年3万人以上出している。
 「3万人も自殺!ワオ!」雪さんの驚きの声である。「菅さんはやめましたから、野田さんになって少しはいいのではありませんか。野田さんはおとなしそう」と言う雪さんに「ノー、野田さんは菅さんより悪い。自民党と公明党と一緒になって、悪いことのし放題をしそうです」「そうなんですか!!」
 さて、レストランで生春巻きやフォー、えびの料理など、この際だからベトナム料理を満喫しようとたらふく食べた。私たちを接待してくれた若い店員の給料は「そうですね。日本円で約1万円。でも、ここは食事が2回つきますからね」と雪さんは語ってくれた。
 公の施設にはどこにも、ホーおじさんの大きな写真か胸像がかざられていた。「ホーチミンはもしかして、肖像を飾られることは望んでなかったのでは?」との質問に雪さんの答えは「国民はみんなホーおじさんを尊敬しています」だった。「ホーチミン」と呼ばないで、みんな「ホーおじさん」と呼んでいた。