中国へ―平和と友好の旅
ちょっと語りたい話
トイレ事情
娘が、初めての海外旅行をする私のために、自分たちが使ったガイドブックを貸してくれた。「熟読するように」との忠告に従って読んだ中に、「中国のトイレ事情」があった。ホテルや観光地では大丈夫とのことだったが、田舎に行くとトイレにドアがないところがあるから気をつけるように書いてあった。
トイレで驚いたのは、まず、保育園児がそろって先生の「立会い」のもと、堂々とやっていた園庭での「つれしょん」。おおらかと言えばいいのか、フランスのベルサイユ宮殿時代と同じ感覚かな、なんて思った。公衆衛生が遅れている現われだと思った。
さて、七三一部隊記念館で問題のドアなしトイレに出会ってしまった。
ドアどころか、屋根だけで囲いもなく外から丸見えのトイレで、申し訳程度に仕切りがついていただけだったから、いくらなんでも利用はできず、我慢する羽目になった。なるほど、ガイドブックのとおりだった。
ホテルは一番安心できた。レストランや食堂でのトイレは水洗が完備でドアもあったが、ドアの鍵が結構こわれており、いちいち確認しなければならなかった。恐れ入ったのは、中国の人は、ドアを開けっ放しでも平気なものだから、目を伏して急いで通過しなければならない場面にも出くわした。
もっとも、こうした生活習慣も今、急速に変わっているそうだ。中国では今、北京オリンピックを前にインフラ整備に力を入れている中で、トイレにもドアをつけることを進めていると聞いた。街は裏に入れば、道にごみが捨ててあるのが目立つ。
中国に何度も行ったことがあるKさんの話では、「僕がはじめて行ったときより、三年前の訪問の時はずっときれいになっていましたよ。だから、中野さんはそれよりもっときれいな状態を見たんじゃないかな」とのことだった。
しかし、日本だって、残念ながらタバコや空き缶のポイ捨てがあとを絶たず、街路樹の根元や路肩の上にも平気で空き缶が捨て放題になっている。人のことを言えた義理ではない。モラルのなさが嘆かわしい。
街並みは、昔のままの古い石造りの長屋風の建物に、中国独特の赤や青などのはっきりした色彩の看板を同じ高さに掲げたお店が並ぶ。おしゃれな街というより、素朴で懐かな雰囲気。こんなところを歩けばきっと、中国人の人柄や生活にじかに触れることができるに違いないから、余裕があればバスから降りたいところだった。今回は車窓から眺めて通過した。
高層ビルが立ち並ぶ近代化された大都市北京と地方都市では、雲泥の差がある。
ウエイトレスの笑顔
食堂やレストランで働いている女の子は、どの子もみんな、若々しかった。十五、六歳かと思って聞いてみたところ、「十八歳。ここにいる人はみんな十八歳以上」と答えてくれた。田舎から働きに出てきている子が多いという。
お店によって違うデザインだったが、チャイナ服が良く似合っている。頬を赤く染め、化粧はほとんどしておらず、純朴そのものの表情の少女たちは、まっすぐ伸ばした長い髪を後ろで無造作にたばねていた。私が中国で会った女性で、パーマをかけていた人はたった一人だった。
北京の「抗日戦争記念館」で懇談してくださった、恰幅の良い女性の副官長さんだ。パーマは大変高級で、誰もが気軽におしゃれに利用できる条件はまだなさそうに見えた。私の身振り手振りつきの、虎の巻を見ての簡単な中国語の問いに、にっこりと応えてくれた彼女たちの笑顔は、とてもきれいだった。
中国は全体にサービス精神、いわゆる接遇がいまひとつで、やたらと顧客にべたべたする必要もないが、日本の「お客は神様」感覚でいるとギャップがある。
でも、中国語は抑揚の高低が大きい個性的なイントネーションを持っているため、普通の会話でも、まるで喧嘩をしているように聞こえる時がある。我が家のとなりに住んでいた中国の青年たちの話もそうだった。こちらはびっくりしているのに、あちらは普通の会話だったりして。
そして日本人と違い(?)率直に物を言うので(いいことだと思う)、対応が余計きつく感じたのかもしれない。湯さんは「年配の人は「文革」のために、硬い感じの人がいます。徹底的にやられて人を信じることができなくなった。文革の影響はまだまだ根深くあるのです。」
インフラの整備で街が変化するように、心の傷は簡単には消えないと、湯さんは、残念そうに語った。けれど、レストランのウエイトレスのさわやかな笑顔は、新しい中国を切り開く若者ここにありとの展望を示していた。